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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第95号

腰椎椎間板ヘルニアの話題

近代医学は多くの病気を克服してきました。
腰痛、肩こりについても例外ではありませんが、慢性的な腰痛に関してはいまだ未解決の問題が残れされています。
でも腰痛の治療に対していくつかの新しい考え方が生まれています。
これまでは腰痛は静かに寝ているのが最良の治療とされてきましたが、長い間寝ていると筋力は落ち、骨は痩せ、特に老人ではそのまま寝たきりになる危険性が増すことがわかってきました。(実際には今でも安静の為に臥床することは必要です。)
アメリカでは腰痛の出現した3週間以内に水泳、歩行などの運動を始めるという内容のガイドラインが発表されています。その内容には多くの議論があるようですが、痛みがある程度おさまればリハビリにて体を動かすことは必要だと思います。
椎間板ヘルニアと座骨神経痛の原因がわかり、髄核から脱出したヘルニアを取り除く手術が初めて行われたのは、今からわずか60年前のことです。
その後、つい最近まで椎間板ヘルニアの主な治療法は手術であるという考え方が広く受け止められています。
しかし、最近は痛みの発生のメカニズムが明かになるにつけ、ヘルニアに対しては手術ではなく、私たちの自己防衛反応を利用して治療するという考えが普及してきました。(硬膜外ブロック、神経根ブロック等)
最近、アメリカの論文に神経の圧迫により腰痛を起こした人の血液の中に「アポリポプロテインE」という一種のタンパク質が存在するという記述がありました。
この論文によると神経の障害がもとで腰痛が現れているかどうか血液の検査でわかることになります。
このように腰痛の治療法や診断法は今後も更に進歩していくことでしょう。
腰痛や肩こりは背骨とそれを支える筋肉の老化や私たちの姿勢が関係していますから国民病、あるいは現代病と考えてさしつかえないと思います。
腰痛、肩こりに悩んでいる人も、その予備軍の人もどのように健康を保って生きていくかということが長寿社会を迎える今後の課題になってきています。
中国の漢の時代の人が「人の体は動かした方が良い。しかし、疲れる程動かしてはいけない。仙人も胴体を思いきり伸ばして、すべての関節を動かし老化しないように勤めたものだ。」と語り体操をすることを人々に薦めたと言われています。
健康に生きる時の秘訣ではないでしょうか。

よもやま話

毎回、固い話ばかりでは読者の皆様もあきるのではないかと思い、今回はちょっと面白い本をみつけたのでご紹介したいと思います。
医学博士、長谷川 栄一先生の著書、医学ユーモア講座、「骨」から抜粋しました。
・骨まで恋人を愛した男
「♪私の願いはただひとつ、骨まで、骨まで、骨まで愛してほしいのよ」
城 卓也の絶唱する"骨まで愛して"という歌がある。歌うのは簡単だが「本当にそうしてくれるのね」と彼女に念を押されると即座に「うん、もちろんさ」と言える男がいるかどうか。
ところが外国にはこれを本当に実行した男がいた。
フランスに住んでいたリジェという73才の独身のおジン。
何かの病気で死んだので近所の人が部屋の整理をしていたところ、ベットから白布に包まれた女性の、髪の毛つきの頭蓋骨が出てきた。
警察が調べたところ、このガイコツは8年ほど前に急死したリジェさんの彼女。
恋人の突然の死にあきらめきれないリジェさんは、1年後墓をあばいて彼女の頭蓋骨を掘り出し、その後7年もの間ベットに置いて、日夜愛撫していたということだ。
言うまでもないが、いかに彼女が好きでも、死んでから手を出してはいけない。
死体から骨をとったり、墓をあばいて彼女のガイコツを持ち出したりすると、厳しく罰せられる。
骨は死そのものを表す記号としても使われる。かって毒薬のラベルには2本の交差した長い骨の上に、目をむいたガイコツが載っている絵の描かれた時代があった。
中身の薬の名はわからなくても、これを呑めば死んで骨になるぞというオドシがかけられていたものである。
骨は動物種の特徴や、人類では男女の差を明確に示すものであり(頭蓋骨、骨盤など)しかも個々の人の詳細な特徴まで刻み込まれている。
頭蓋骨の形状を基礎に肉付けを行うと生前の顔貌を復元することもできます。

・こめかみ
古代の日本人は、かたい生米や焼米を常食にしていた。そのため長い間、そしゃく運動をする必要があり、その米を噛むときに動く部分に"こめかみ"の名がついた。

・アゴはずれ
つまり下顎脱臼の整復はちょっと考えると簡単そうだが、実際にはコツがわからないと容易ではなく、江戸時代には「ほねつぎ」の免許皆伝を与えるとき、その奥義として伝えられたのが、この下顎脱臼の整復法であったといわれる。
驚いたことには約3500年前、象形文字で書かれたエジプトのパピルスにも下顎脱臼の治療法が記載されていることだ。
象形文字(ヒエログリフ)に書かれていた治療法
下顎の脱臼の処方。  もしあなたが下顎に脱臼のある人を診察し、その口が開いたままで、閉じないのが分かったなら、あなたの指を下顎骨両側の突出部の端に、(親指)は彼の口内に、残りの指は彼の顎の下に来るように置け。そしてそれらは、本来の位置に置かれるように、倒せ。そしてあなたは彼に「下顎が脱臼している。これは治療できる病気である」と言え。彼が(完全に)治るまで、毎日イメルゥ(湿布剤)と蜂蜜を塗り、その上をホータイで巻け。
この古代エジプト式治療法は現代の下顎脱臼整復法と比べても、あまり遜色はないのである。

・伸び縮みする背骨
身長を、高く測りたい人は起床時に、低く測りたい人は寝る前に測ればよい。
朝晩の身長差は、小学生では1.3cmだが、成人では2cm近くにも達する。つまり朝測ると昼より1cmほど高く、夜測るより2cmも高くなる。
背骨は頸椎から腰椎まで、24個の椎骨が積み重なっているので(仙骨と尾骨は背の高さに無関係)、起きているときには3~5kgもある頭の重さで椎間板が圧迫され、椎骨同士の間隔が縮まり、夜は背の高さが低くなっている。登山時のように、重い荷物をかついで歩いていると、夜には3cmも背が縮むことがある。
ただし、昼間縮んだ分は、夜、寝ている間に伸びて、朝には元の身長に戻っているから心配することはない。

・肩から肘
一般に男性は肩幅が広いので、両手をくっつけようとして前に出すと、肘のところが離れてしまう。しかし女性では肩幅が狭く、上腕と前腕が内方にやや屈曲していることもあって、肘のところから手首にかけて、離れないことがおおい。

・すねにキズ
弁慶といえば、今を去ること約800年昔の源平時代に活躍した武将。
母の体内に18ヶ月もいたそうだから、生まれる前から"留年"していたツワモノでオギャーと出て来た時には、前歯も奥歯も生えていたという。
成人してからは京の街で1000本の刀を奪おうと大変な目標を立て999人のサムライに打ち勝って刀を巻き上げたが、あと1本という時、五条の橋の上で出会った牛若丸に負けてしまい、その家来になった。向こう脛を打つと、こんな大豪傑でも泣くほど痛い、というのが"弁慶の泣き所"のいわれだ。そういえば奈良県、藤の木古墳の石棺から金銅製の脛当てが出土しているが、死んでからも、脛に傷付けぬようにと昔の人は気配りしていたのだ。

・のど仏
軟骨のなかでも、とりわけ有名なものは"のど仏"といわれる甲状軟骨。思春期以降の男子では声帯が1,3cmも伸び、いわゆる「声変わり」として発声が低音になるが、この声帯の伸びに伴い、甲状軟骨も前方へ伸びて外側に飛び出すようになる。
旧約聖書によれば、この出っ張りは人類原罪のしるしという。

・アダムのリンゴ
神様は人類の始祖・アダムとイブをつくり、エデンの園に住まわせた。神はアダムに「木の実はどれを食べてもいいが、花園の中央にある"善悪を知る木の実"だけは食べてはいけない。もし食うと死んでしまうぞ」と脅しておいた。
エデンの園には、神が造られた生物の中で最もずる賢いといわれる蛇が住んでいてイブに言った。「あの実を食ったら死ぬなんて嘘っぱちだよ。禁断の実を食うと、神と同じように善悪を知り、神のように賢くなる。それを恐れて神様は食べるなと言ったんだよ。」イブはいかにも美味しそうに見える木の実の誘惑に負け、ついに禁断の実を食べ、アダムにも勧めた。ところがアダムがまだ食べ終わっていないとき、神様が現れたので驚いたアダムは慌てて口の中の実を飲み込んだが喉に引っ掛かってしまい、外から見てもわかるくらいに喉が膨れ上がった。アダムの「ふくれたのど」は人類原罪の印として子々孫々の男子に伝えられ「アダムのリンゴ」といわれている。
・最後までリウマチに負けなかったルノワール
印象派画家の巨匠、ルノワールPierreAugusteRenoir(1841~1919)の名はあまりに有名だが、彼も慢性リウマチの犠牲となった一人である。
1879年の夏、自転車で走っていたルノワールはぬかるみに車輪をとられて転倒し、右腕を折ってしまった。骨折は治ったが、その年のクリスマス・イブに彼は右腕に軽い痛みを感じるようになった。
そのとき居合わせたドガDegasは、骨折からリウマチという恐ろしい病気になった例を話し、注意を即した。笑いながら聞いていたルノワールはあとで医師を呼んで、リウマチについての説明を求めている。
ドガが、そしてルノワール自身が、ひそかに心配したように、骨折が誘因となったためか、リウマチがその後のルノワールを死ぬまで苦しめることになった。
1910年以降、リウマチのためにほとんど歩けなくなったが、それでも制作の意欲はいささかも衰えることはなく、彼の全盛期の作品はリウマチに悩むようになってから描かれたものが多い、といわれる。
伝説によれば、ルノワールはリウマチの指に絵筆をくくりつけて描いたといわれているが、実際はホータイで巻かれた指の間に絵筆を差し込んで制作したようだ。
このような苦労と、激しい痛みにさいなまれながら、ルノワールは彼の死の年に「水浴する女たち」を描き上げた。この絵は1.6m×1.1mもある大作で、しかも、その絵から病気を感じさせる暗い陰は全く見当たらないのである。
彼の最後の言葉は「早く絵具を・・・パレットを私に寄越してくれよ。」であったという。ルノワールは天国へ行ってもまだ描き続けているのだ。