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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第89号

老いてなお美しく、話がちがう

町内の運動会に参加。500m競争に出て、必死になって走り抜きやっとゴールインというところで役員が走り出てきて、「すみません、800m競争の間違いでした。もう800m走って下さい。」などと言うと、どうなると思いますか。
最初から800mと言われていれば、それなりのペースで走るのでしょうが500mと言われてそのつもりで走ってきたのだから、それじゃ話がちがうということになりだれがあと300mも走れるものか、ということになるでしょう。
現代の老人問題にはこのようなところがあります。
人生50年と教えられ、そろそろお迎えでも来るかと思っていたのに、あと30年あるのだというのです。
今は全体的に一挙に人生競争のゴールがぐっと遠のいてしまったのです。
現代の「老」の道は、人類が今まで経験したことがなかった「未知」なる世界なのです。
そして「未知」は"道"に通じます。
「老」の"道"は老いの「未知」でもあるのです。
医学の進歩は人類の寿命の神秘を解き明かし、いつまでも老化しないでいられる遺伝子をも探し出そうとしています。
老いの未知は様々な問題を抱えながら、今日も新しい一歩を踏み出しています。
逆転の発想
昔々、ある国の殿様が老人は働けないから無駄じゃと言って、山に捨てるようにというお触れを出しました。
でもある男が自分の母親を捨てるにしのびず、そっとかくまっていました。
殿様はある時、灰でつくった縄が欲しいと言い出しました。
さあ、大変。殿様の命令は絶対です。
皆が我も我もと灰で縄を作ろうとしますが、どうしても作れませんでした。
国中が大騒ぎです。
例の男がかくまっている母親にそっと相談すると、年老いた母は笑いながら、ワラで固く固く縄をつくり、それを燃やすといいと教えてくれました。
なるほどやってみると灰の縄が出来たので殿様に献上しました。
殿様は喜んで、誰の考案かと聞きました。
実はかくまっていた年老いた母の知恵ですと白状すると殿様はなるほど、老人には知恵があるとわかりましたので、以後は捨てずに大切にするように考えを改めました。この話でおもしろいところは、縄を作ってから灰にするという逆転の発想にあります。そこで私たちもこの逆転の発想を老人のことに当てはめてみましょう。
「老人はなにもしないから駄目」というが、「老人はなにもしないからすばらしい」とは言えないだろうか。
青年や中年があれをする、これもすると走り回っているのは、それによって生きることに対処する不安をごまかすためではないだろうか。
様々な経験をしてきた老人は、もはや、あくせくと働かずとも経験から先を予測することができ、かつその知識を若い世代に教えることができると思います。

創める(はじめる)
「老いてはじめる」という言葉があります。
年老いても、何か新しいことをはじめることが、老いを意義深く生きる上で非常に効果的です。
この年になっても何か進歩することがあるのは有り難いことと考え、「もう、この年になって」などと言わず、勇気をもってはじめることが大切です。

いい年

日本語には「いい年をして」という表現がある。
「いい年をして、あんな派手な着物を着て・・・」とか「いい年をして、ダンスを習うですって」とか言われると、ガクッとしてやる気が失せてしまうほど強烈なパンチです。
そして「そうか、俺ももういい年なんだ。」と思わされて、意欲も何もしぼんでしまう結果になります。
こういう表現を慣用的殺し文句とでも言うのでしょうか。
特に我が国では「人様がどう思っているか」ということを常に気にする傾向が強く、この種の殺し文句には弱い人が多い。
でもこのような風潮が老人の世界を狭くし、灰色のものとしていることが多いのではないでしょうか。
だから、これからは言われる前に言っちゃいましょう。
「いやぁ~、いい年だけど、ダンスやってるんですよ。」という具合に。
「老いる」ということは「いい年」を生きることなのです。

着物

お正月は着物姿の人たちをよく見かけます。
西洋の服は、一人一人の体型に当てはめて作られますが、着物は直線を基本にしていますので、その人その人による「着こなし」が大切になってきます。
お年寄りの方で着こなし良く着物を着て歩いておられるのを見ると、容姿全体が生きていて、優美な印象を受けます。
美というとすぐに若さに結びつけがちですが、着物の場合は着こなし上手でなければ本当の美しさを引き出すことが出来ないように思います。
あるアメリカ人が「年齢が増すにつれて、美しさも増す。」と着物について言っていました。
胴長な日本人の体型をカバーし、なおかつ優美なしとやかささえ演出してくれる。
一石二鳥の必須アイテム。
もっと着物を頻繁に着ちゃいましょう。

モーツアルト

モーツァルト(1756~91)は周知のごとく35歳の若さで亡くなっています。彼の愛好者は全世界におり、これほどの天才が若くして世を去ったことを惜しむ声も多いです。
しかも彼の死因には謎めいた話がつきまとって、毒殺説まであるくらいです。
「音楽と音楽家の精神分析」という本を見てみますとおもしろいことが書いてありました。
モーツァルトとは時代が違いますが、19世紀の音楽家たちは若くして死ぬ人が多いのに、ブルックナーは72歳まで長生きしました。
「かれが42歳で第一交響楽を完成してから最後の第九交響楽を未完のままで残すまで、ほぼ30年。これはモーツァルトがケッヘル一番のピアノ小品を6歳で書いてから"レクイエム"を未完のままで残して夭折するまでの期間とちょうど同じなのである」と。
この本を読んでいると、モーツァルトが暦年齢としては「若い」ときに作曲した曲でも「老成」や「円熟」などを思わせるものがあることに気がつきました。
だからやはりモーツァルトは天寿をまっとうして死んだことになるのであろうか。
同じ創作年数を生きた、天才作曲家たち。
100年先になれば、ビートルズも天才作曲家として22世紀の人々に愛されているのかもしれません。
なんか、そう考えると楽しくなってきませんか。

思い出の映画

12月に入ると巷では第9が流れ、クラシック音楽の良さを感じさせてくれます。
今回は天才「モーツアルト」の伝記的映画「アマデウス」を取り上げてみました。
一本の映画を何度も繰り返してみていると登場人物への思いが少しずつ変わってくる事があります。
最初は長く、つまらない映画だと思っていましたが、何度か見るうちに「アマデウス」の若々しさと才能の豊かさに魅了させられます。
若々しさとは青葉の頃、傷つきやすいその精神に宿る粗削りな無鉄砲さ、そして怒り。汲めどもつきぬ泉のように、いともたやすく音楽を、その才能を開花させ、あっという間に散っていった未熟な人生。
何度も見るうちに私の興味はモーツアルトから、もう一人の主人公であり語り手であるサリエリに変わっていきました。
このサリエリはモーツアルトを毒殺したのではないかと疑われている人物です。
自分よりも年下のモーツアルトに嫉妬せずにはいられないサリエリ。
それなのになぜか、私は彼の行動に少しずつ興味を覚えていました。
人間の持っている醜さ、弱さ、妬みを如実に表すサリエリ。
それが人間らしさなのかもしれませんが。
いくら頑張ってもサリエリにはモーツアルトのような傑作を生み出すことは出来ませんでした。
世界で一番モーツアルトの音楽を誰よりも深く理解し、愛したサリエリ。
だからこそその才能に嫉妬し、懊悩し、モーツアルトを憎んだサリエリ。
もっと違う面からモーツアルトを理解してやれば、モーツアルトがどんなに未完成な人間だったか、どんなにサリエリのような良き助言者を必要としていたか解ったはずなのに。
嫉妬という感情に安易に身をまかせてしまったサリエリ。
私は人間が持つ弱さ故に、その才能を開花せずに逝ってしまった幾多の人物を思い描いてしまいます。
映画のクライマックスでサリエリは病床で「レクイエム」を作曲するモーツアルトの手伝いをします。
彼の死が近いことで初めてこの天才を失う"つらさ"にサリエリはきづきます。
その才能を惜しむことにより、やっと憎しみを浄化させることができたのです。
監督のミロス・フォアマンはサリエリを演じたマーリー・エイブラハムの演技を絶賛しました。
ミロス・フォアマンは「カッコーの巣の上で」と「アマデウス」でアカデミー監督賞を受賞し、サリエリ役のマーリー・エイブラハムも助演賞を獲得。
天才には天才ゆえの苦労が、凡人には凡人ゆえの苦労があり、より神に愛されるのはどちらなのでしょうか。