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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第85号

楽しい楽しい夏休み!!でも、熱中症に気をつけましょう

夏休みの季節がやってきましたが、今夏はいつになく暑い日が続いています。
学生、社会人をとわず海や山でスポーツを楽しむ人も多くなり、そこでの事故も増えています。
そこで今回は夏におこる事故とその応急処置をとりあげてみようと思います。
暑い時に長時間、運動をしていると大量の発汗により熱射病が起こることがあります。この熱射病には二つのタイプがあります。

1.以前より言われている熱射病は
高齢で、
やや流行性があり、
体湿も非常に高く、
しばしば基礎疾患があり、
天候に非常に左右され、
あまり汗をかかないのに体がだらっとしてきて意識障害が起こります。

2.暑い中で急激な運動によってかかる熱射病は
若年層で、
流行性はなく、
体湿も38°台位で
基礎疾患もなく、
天候にも左右されず、
非常に多くの発汗がみられ筋肉が次第に融解し排尿停止状態に落ち入り意識障害が起こります。
サウジアラビアではメッカ巡礼の時に多数の熱射病が発生するため、巡礼の時にはメディカルチェックをする事が義務づけられています。

では、もし熱射病にかかったらどうすればいいのでしょうか。
・熱射病になった時には、まず体温をはかる事です。
体温が高ければ、出来るだけ早く下げるようにしましょう。
早く体温を下げる→これが治療の最初です。
冷やす方法として以前は水風呂に入れる、冷たいタオル、氷を当てる、扇風機、クーラーなどの風を当てるなどの方法がとられていましたが、これは皮膚を冷やすために皮膚血流が減少し、熱の拡散が妨げられる、また悪寒などのため逆に筋肉での熱発生を高めることがわかり現在ではあまり薦められません。
熱射病にかかっている事がわかったら
・風通りのよい所に寝かせ、(ハンモックがあればいいのですが、なければ背中にも風が当たるようにして下さい。)
室温の水をスプレーすると同時に室温の風を吹き付ける。
・その時に頸部、腋下、鼠蹊部などの動脈が表面に近い所をアイスパックで冷却するスポーツの現場で熱中症(熱射病)と予想される場合は氷やアイスパックを用意しておくとよいでしょう。
又、準備がない場合でも、その場で出来るだけ冷やしながら病院に運ぶことです。灼熱下で長時間、スポーツで大量の発汗による脱水が問題とされています。
でも、発汗量の倍以上の水分摂取を行うと、逆に低ナトリウム血症となり、危険な状態になることがあります。
水中毒という状態です。
競技中の水分補給には塩分の補給も必要となります。
テレビのコマーシャルに、ダム建設にかかわった人々に水分だけではなくナトリウムの摂取を奨励したところ、死亡事故が減ったとありました。
動物も本能的に塩をとっています。強い獣は襲った動物の血液の中から、そして象は岩塩のある場所を知っているといわれています。
塩は生きていく上に必要ではありますが、とり過ぎには注意して下さい。

落雷

夏になると時々新聞等で落雷の事故が報道されています。
落雷による受傷は時に死亡事故につながります。
登山、ゴルフ、草野球、キャンプ、釣りなどで受傷しています。
いつ落雷で受傷したか統計をとると、降り始めか、遠雷を聞いたが降り出す前が一番多く、次は雷雨が終わり近くに競技などを再開した時に受傷しています。
比較的安全な場所は自動車内か、鉄筋コンクリートのトイレ内ですが、そのような場所はなかなか無く、高いフェンス、塔、木などを45°に見上げる円錐内でそこから2m以上離れていなければなりません。
もし何もない平坦地などで落雷にさらされたなら、まさに絶体絶命です。
できるだけ低い姿勢で→和式トイレのような姿勢か、腹ばいになり指で耳を塞ぎ→鼓膜穿孔を防ぐため。
長い物はすべて寝かせる。
金属はすべて捨てて下さい。

思い出の映画  マリリン・モンロー

今回はセクシーシンボルとうたわれたマリリン・モンローの出世作をご紹介します。つい先日テレビで放映されました。
オットー・プレミンジャー監督の「帰らざる河」です。
1875年のカナディアン・ロッキー。開拓者のマット(ロバート・ミッチャム)は妻が死んでから酒場の歌手ケイ(マリリン・モンロー)に預けてあった9番目の息子と再開し、新しい農場の開拓に取り組み始めます。
その農場の横を"帰らざる河"と呼ばれる激流が流れています。
ある日、ケイと婚約者のハリーがイカダで漂流しているのをマットが助けますが、ハリーはそのマットの拳銃を奪って旅だってしまいました。
折しもインディアンの襲撃に遇い、マットと息子、ケイはイカダで"帰らざる河"を下り、奇跡的に町にたどり着くことができました。
シネスコ初期作品であるこの映画は激流を下るシーンをクライマックスに迫力たっぷりと描いています。
マリリン・モンローが酒場でけだるそうに「No return」と歌う声が、今も聞こえてくるようです。
そういえばケネディ大統領の誕生パーティで「Happy birthday President」とセクシーに歌っているのを覚えていらっしゃいますか。
上手ではないけれど妙に記憶に残る声と思いませんか。
1954年に作られたこの映画の後で、マリリン・モンローは大リーグの名選手ジョー・ディマジオと結婚しました。
セクシー・シンボルと言われたマリリン・モンローはこの映画でその演技に注目され、今までのただのアイドルから脱皮したといわれています。
1962年、マリリン・モンローは謎の死をとげます。
人気が下降気味だったとはいえ、まだまだ商品価値があったと思われるのにあまりに突然の死に驚きました。
単にマスコットでいることをいやがったマリリン・モンロー。
1926年、ロサンジェルス生まれ、
CMモデルを経て映画界に入る。
1947年、「DangerousYears」でデビュー
1953年、「ナイアガラ」で見せたモンロー・ウォークで人気爆発。
以後ハリウッドのセックス・シンボルとして未だ人気を誇る人気スターとなる。
「百万長者と結婚する方法」
「七年目の浮気」
「お熱いのがお好き」
「荒馬と女」
「紳士は金髪がお好き」
「バス停留所」
「ショウほど素敵な商売はない」等があります。
スターになる事を夢見て、スターの頂点に昇りつめたのに彼女は本当に欲しい物を見失っていたのでしょうか。
あまりに早い彼女の旅立ちが惜しまれます。