香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第72号

沖縄研修旅行

6月10日~12日・17日~19日と2班に別れて沖縄に研修旅行に行ってきました。病院が手薄になり、患者さん方にもご迷惑をおかけした事と思います。
紙面を借りましてお詫び申し上げます。
その研修旅行の感想を職員が書いてくれましたので、若干の手を加えて掲載させていただきます。
一人目は看護婦さんからです。
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研修旅行3日目、私達は「ひめゆりの塔」の見学に行きました。
平和祈念資料館内には今も沖縄での戦争体験を語ってくれる女性がいます。
その女性は当時、沖縄県立第一高等女学校の生徒で戦時中はおもに負傷兵の看護、食糧や水の運搬などが仕事だったそうです。
話の中で特に心を打たれたのは、看護の事でした。
昭和20年、沖縄師範学校女子部と沖縄県立高等女学校の生徒222名と教職員18名が南風原陸軍病院に配置されました。
激しい抗戦もむなしく日本軍は敗退の一途をたどり、50万人以上の米兵が沖縄に上陸、最後の時までけなげに職務をまっとうしようと慣れない看護に頑張っていた彼女たち。
でも傷口につける薬も不足となり、兵士の傷は献身的な看護にもかかわらず「うじ」がわくようになったそうです。
「うじ」をとってあげることが唯一の手当。
一人の兵士のうじを取っているとまわりの兵士達が「生徒さん!、早く僕のも取って」と次々と悲痛の声を上げて近づいてきたそうです。
人間の肉に深く噛み付いている「うじ」はなかなか取る事ができず右腕の「うじ」を取っていると左足の方から「グジュグジュ」とも「ザワザワ」とも何とも言い難い、「うじ」が肉を噛み切る音が聞こえ、夜になるとその音は兵士達のうめき声と交ざり合って一層大きく響いたそうです。
運びこまれて来る兵士の数も日ごとに増え、薬品の不足は本来治るはずの傷まで化膿させ、その結果は手足の切断になったそうです。
それも最後の方では麻酔なしでの手術となり、一日に何本もの体から切り離された大腿を運んだその重さが今も手に残っているとのことでした。

私は看護婦になって7年目になります。
今日まで薬に不足した事も、まして傷口にうじがわく事など想像もできない事です。でも傷ついた兵士達の一人でも多くを苦痛から救ってあげたいと思う気持ちは当時の彼女達と同じです。彼女たちがどんなにきれいな包帯を傷口に巻いてあげたかったかと思うと涙が止まりませんでした。
時として痛みがひどい入院患者さんや外来患者さんを前に、少しでもその痛みを軽減させるにはどうしたらいいだろうか?、感染をおこさないように清潔なガーゼを、包帯を、と考えている毎日です。
でも沖縄に行って彼女の話を聞いて、私は生まれ変わったような気がしました。
今あることが当然のように思っていましたが、この裕福な時代に確かな感謝の心を持てるようになったと思います。
彼女が伝えたかったことはたった1つです。
「あやまちは二度と繰り返さない。」
彼女は続けます。
「私はこの体が続く限り、この話を語り続けたい。」と・・・
女学生222名、教職員18名は迫り来る米兵に追われ沖縄最南端まで逃れました。生徒、教職員合わせて219名がこの地で亡くなったそうです。
祈念館には彼女達の写真が一枚一枚壁に掛かっていました。
一人一人の命の重みを心に刻みながら、戦争というあまりに理不尽な行為が犯した悲惨な現実を目の当たりにした一日でした。
もっといろいろな話をしていただいたのですが、今回は一番心に残ったお話しを紹介させていただきました。又、機会があれば「コスモス新聞」で紹介できれば幸いです。
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当院には手話に堪能している看護婦さんがいます。
彼女たちの沖縄研修旅行談です。
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沖縄の手話サークルに参加しようとYさんから提案され、一緒に行くことにしました。沖縄の手話を一つでも覚えて帰ろうと思ったからです。
でもどうやって捜せばいいのかわからず、困った時の院長頼みとばかりに相談するとインターネットで検索して下さいました。
35件のサークルの中から私達の日程に都合の良い金曜日に活動している那覇市の「手話サークルてのひら会」に参加させていただくことに決めました。
場所は沖縄県社会福祉センターで夜の7時~9時まで。
ホテルのある恩納村から那覇市までバスで行き、日中はショッピングなどを楽しみました。
手話サークルの方たちにお土産をと栗林公園の絵葉書や高松祭りのうちわ、瀬戸内の小魚の煎餅、そして香川県ろうあ新聞の過去6ヶ月分を持って。
いさんで行ったのはいいのですが、当日は新会員の紹介の日で手話の勉強はなく歓迎会の日でした。
でも各自の紹介や趣味とか手話を始めたきっかけなどを話しているうちに緊張もとけいつの間にかワイワイやっておりました。
参加されている方たちは学校給食、空港売店、薬剤師、OL、学生、福祉関係と職種はさまざまで看護婦は私達だけでした。
沖縄の手話も香川の手話もあまり違いはなかったので安心しました。
手話も含めて福祉に関する活動は近年、やっと日の目をみるようになり沢山の方が参加して下さるようになりました。
手話を習ってから私も交友関係が広がり、日本の最南端の沖縄にも知り合いができ、うれしい限りです。
今後も頑張って手話の勉強をしていきたいと思っています。
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宇宙開発事業団NASDAは衛星の軌道管理や宇宙飛行士の育成など、宇宙にかかわる事業を展開しています。その情報公開の場が沖縄にある。
私の心はときめきました。
朝、レンタカーを借りて恩納村を後にみゆきビーチのバスストップを右折、山道を登っていくとサトウキビの畑が広がり、そして大きなゴルフ場を過ぎるとありました。
映画でしか見たことがなかった大きな真っ白いアンテナ。
沖縄の真っ青な空に、宇宙に、大きな顔を向けていました。
写真だ、カメラ、カメラと大騒ぎ。
たったこれだけにこの大騒ぎでは建物の中に入ったらどうなることか。
渋面を作る私におかまいなく妻と娘たちはカメラに収める一番のアングルを捜してアンテナの近くを右往左往。
沖縄宇宙通信所は気象、通信、放送、地球観測と衛星の種類は様々あり、館内にはロケットの模型や放送衛星「ゆり」の試験機がありました。
又、天気予報でおなじみの「ひまわり」の受診画像がリアルタイムで見られ、壮大な宇宙の一端をかいま見るような気がしました。
ビデオルームには宇宙に関するテープがかけられるようになっており、好きなテープを選んで見られます。そのビデオにあった国際宇宙ステーション計画はまさにSFの世界が現実になったようです。
高度約400kmの地球周回軌道上に建設される恒久的、多目的な有人施設。
日本、アメリカ、ロシア、欧州、カナダが参加する国際協力プロジェクトで1998年から43回のフライトに分けて打ち上げられ軌道上で組み立て、2004年に組み立て完成予定です。
日本が担当するのは実験モジュールJEM、アメリカは実験用及び居住用モジュール、欧州は実験用モジュール、ロシアの実験用モジュール、カナダは宇宙ステーションの組み立て、保守などを支援するロボットアームを担当するそうです。
JEMは日本が初めて開発する恒久的な宇宙の有人実験施設で2001年から2002年にかけて3回に分けて打ち上げられ宇宙ステーションに組みつけられます。
JEMは与圧部、曝露部、補給部、マニピュレータの4つのシステムからなり、与圧部は搭乗員が宇宙服を着なくても作業ができるように1気圧になっているそうです。マニピュレータとはロボットアームのことです。
筑波宇宙センターでは無重力環境試験棟があり、無重力環境模擬水槽は直径が16m、深さ10.5mあり、JEMの実物大模型を水中に設置し、水中宇宙服をきて無重力の練習や作業などの訓練ができるそうです。
ここには他に宇宙飛行士養成棟、宇宙ステーション運用棟、実験棟などがあり、近い将来の夢の実現に向けて、大きく羽ばたいているようです。
沖縄には海の一部を囲った浅瀬のラグーンに沖縄海洋研究所OMRC(オキナワ・マリン・リサーチ・センター)があります。
ドルフィンプログラムといってイルカの生態についてやそばに寄った時の注意などを聞いた後に、イルカと遊ぶことができます。
さて、ホテルの前からマリン・スポーツが楽しめます。
私達はバナナボートにのって近くの海にスノーケリングに行きました。
水中マスクからかいま見た海の底は・・・。
驚きました。たくさんのサンゴが死んでいるのです。薄く泥をかぶっているサンゴのまわりにちらほらと魚が泳いでいました。サンゴが死滅した理由はオニヒトデの繁殖のせいでした。死んだサンゴにかぶさるオニヒトデのとりわけ鮮やかな色が衝撃でした。学生の頃にスキューバで潜った海の美しさはもう心の中に残る思い出のみとは。世界に名だたる沖縄のサンゴがこれ以上破壊されないことを祈るばかりです。
リゾート地として発展した沖縄で一番の被害はサンゴだったのでしょうか。
人がたくさん集まるという事は自然破壊につながるのでしょうか。
答えのでないジレンマは怒りをともない、それを見せられた悲しみとなって心の中に沈んでいきました。
未知の宇宙に乗り出して行こうとしている人類。
環境破壊を見て見ぬふりしているのではなく、一人一人が小さな事から環境を守る努力をしていけば、きっと地球にやさしい人類になれると思います。

患者さんにお願い!
6月の最後の木曜日。丹精して育てていた観葉植物が家出をしたようです。
病院玄関に大きく葉を伸ばして元気に暮らしていたので、何の不満もないと思っていたのですが、いつのまにかいなくなってしまいました。
ともすれば機能一辺倒になりがちな病院に、少しでも患者さんへの憩いやうるおいにとの願いを込めて育てていたのですが・・・。
身長1m50cm位、体重およそ25Kg、愛称、緑のカポックちゃんです。
どうか、どこかで見かけたらご面倒とは思いますが、当院へ帰るように説得するようにお願い申し上げます。