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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第69号

関節の不思議

ウォルト・ディズニーの長編アニメ映画に「ピノキオ」があります。
アニメ映画の名作といわれています。
おじいさんの作った木の人形のピノキオは星のきれいな夜に女神の魔法で人間の生命を与えられ、願い通りに本当の子供になります。
操り人形だったピノキオは、首、肩、肘、股、膝に糸がつけられ器用な動きをしていました。
数々の試練を経て人間となったピノキオは操り糸がなくなると同時に、動きのぎこちなさも消え、人間になれた喜びをおじいさんと分かち合います。二人で踊るラストシーンは感動的でした。
さて、人形のピノキオと人間になったピノキオとの動きの中で、一番違うところはどこだと思いますか。
それは、一つの動きをする時、その時に動く関節の数が人形では少なく、また動く範囲も狭いという事です。
人間は別の関節を動かす時も滑らかに次の関節へ移動できますが、人形は何となくギクシャクと動きます。

パントマイムをする人達もこのことを良く知っているため、人形のマネをする時はそれなりの動きをします。名人の絶妙な人形振りには感心させられます。
人間が字を書くときにどれだけの関節、筋肉が動くと思いますか。
関節だけでも、指、手、手首、肘、肩など多くが関係し、それを動かすために同じ位か、それ以上の筋肉が動いています。

動かす筋肉、それを止める筋肉がまた微妙に「書く」という動作を動かしたり、制御したりしているのです。
その為に私たち人間の書く字は、人それぞれ違っているということになります。
それゆえに、筆跡をまねることは難しいこととされています。
日本では書類などに印鑑を押しますが、欧米諸国ではサインが必要です。これは筆跡が個人個人違うためだからだと思われます。
子供達の英語の家庭教師だったアメリカ人女性は、小切手などにサインする時のために、高校生の頃にサインの練習をしてたそうです。
近ごろは海外でVISAやアメックスなどを使用する時、カードの裏にサインしてある日本語で書くようになりました。昔は英語で書いていましたが、今は同じサインをと要求されるようになりました。
でもボストンのホテルで一生懸命見比べてみても、漢字は皆同じに見えるとキャッシャーの女性に言われた時は大笑いでした。

僕も行けたよ、アメリカへ

前回、ご紹介だけで終わってしまった山崎 勉君のアメリカ紀行記をお楽しみ下さい。

海外研修に参加してみました!!
伊東重度障害者センターを退所してようやく家の生活にも慣れて来て、少し何かを始めなければと思っていた矢先、市民海外研修の話が舞い込んできた。
糸魚川市ではここ数年、行っているものであるが、今回は障害者が対象とあって募集記事を見て早速申し込んでみた。当初は身の回りの自立した者が対象だったが、そこは交渉して理解してもらい付き添いも同行出来ることにしてもらった。
参加者は車イスが自分1人、下肢関節障害や義足使用、聴覚障害、心臓疾患の人達に、付き添い2名、添乗員がついての計9名のグループとなった。

今回の研修先は、カナダのバンクーバーにある民間の視覚障害者援助機関"カナディアン・ナショナル・インスティチュート。フォー・ブラインド"を主にその周辺と、アメリカは、サンフランシスコを中心にバークレーCIL、ナパバレーのワイン工場などを回る予定だ。
そんな研修先を少し紹介してみたい。
 
9月27日水曜日、4日目。今日は2ヶ所目、アメリカでは初めての研修先バークレーCIL(TheCenterForIndependentLiving障害者の自立生活センター)に訪問することになっていた。
いきなり余談だが、今朝、ホテルのフロントであのニューヨーク・メッツの野茂に遭遇し、損ねた。あと5分早くフロントロビーに降りて来ていれば会えたのに。
やっぱり早起きは徳なんだと知った。
ちなみに昨日、野茂は先発して勝利を収めたと新聞に載っていた。素晴らしい。
さて、ホテルの外にはリフトバスが来ていた。日本の中型バスを短くしたくらいの大きさで最後部右側にリフトがついている。運転手は一見怖そうだが、じつは物静かな巨漢の黒人だった。こちらに来て毎日リフトバスでの移動であるが、毎日回されて来るバスが違い、リフトの位置、車イスの固定方法が少しずつ違う。それだけたくさんのリフトバスを持っているのかと感心させられる。
バスはホテルを出てバークレーへと向かった。ハイウェイは3~6車線もあり、サンフランシスコに入り込む対向車線は渋滞の時間帯を少し過ぎているのに、まだ沢山の車がゆっくりとしたスピードでしか走れないでいる。
窓の外は、今では日本では見ることのない年式の日本車から、新型のアメ車やドイツ車が入り混じって走っていて見ていても飽きない。
さすが車社会だなと思いながら、日本車の多さには改めて日本の輸出産業を実感した気がした。
バークレーはハイウェイをサンフランシスコの北東へ1時間半ほど走った所にあった。町はカルフォルニア大学のバークレー校があることもあり、学生達がキャンパスに向かって歩いているのが見え、静かで穏やかな感じだった。
歩道の片隅にバス停のような小さな車イスマークの看板が立っていて、バスはそこへ止まった。その横の平屋のオフィス風の建物が自立生活センターだった。
中では、車イスに乗ってまだ若そうな所長のラリーさんらが迎えてくれ、視覚障害を持った副所長のジェラルドさんが僕らに説明をしてくれることになった。
 この自立センターは1972年に全米で初めて、障害を持つ人達自身が作り、運営してきた非営利団体で、現在、350万ドルの予算を、政府援助などが約50%、民間寄付、募金などが約50%で賄って運営している。
 センターの主な活動は、
◎アテンダント提供サービス
 障害者、老人が自立生活を手助けしてもらう人の紹介などをする。
◎視覚障害、聴覚障害、及び視聴覚障害者用サービス
 視覚障害、聴覚障害、及び視聴覚障害者に対してのカウンセリング、団体支援、生活手法、機器紹介、点字サービス、聴覚障害者のためのパソコン通信など。
◎高齢者向けサービス
 行政と提携して一人暮らし老人の地域参加を手助けする。
◎若年層向け参加
 家族を含めてのカウンセリングや、これから社会へ出て行くための指導など。(立川市から来た阿部さんという女性が、障害を持った青少年が学校などで受ける対応の改善を指導する活動を行っていた。)
◎その他、各種情報提供、コンサルタント、及びアドバイスサービス
法律、住宅、保険、就職、日常生活などについての相談、紹介をする。
(自立へ向けて意識改革、生活方法を学ぶ講習会を行う。就職や住宅などは業者との仲介をしてくれるというサービスもしている。)
という、障害の種類に関係なく様々な事を障害者自身が中心となって行っているとのことだ。
テーブルでの説明が終わると、続いてジーンという女性が僕らにセンター内を案内してくれた。センター内では10人くらいの人達が小さく仕切られた各部屋で働いていて、そのほとんどが障害者で、電動車イスに乗った重度の人達も3人程見えた。
「自分と同じくらいの障害を持った人でも働いている。自分でも同じように出来るだろうか。」と考えさせられてしまった。
その人達がどういう生活を送っているのか詳しく知りたかったが、それが出来なかったことがとても悔やまれた。
最後にもう一度、所長達に挨拶をしてから自立センターをあとにした。
アメリカも昔からこんなに障害者が活動的だったわけではないそうだ。
国民性の違いもあると思うが、自分達も社会の一員であるということに気づき、それを社会にも理解させようと行動してきたのだ。
ここ数年、日本からも沢山の人達がこのセンターに来て、いろんなことを学んで行った。そして、日本各地ではここ数年で障害者自立生活センターが少しずつ増えてきてる。副所長が僕らに、「糸魚川市にはもう自立センターを作られましたか?」と聞かれた時はドキッとした。
でもまた、副所長は、「みんなで集まって何が必要か、どうすればいいかを考えなさい。」とも言われた。
それが一番大事なことなのかもしれない。
走りだしたバスの窓の外では、カルフォルニアの眩しい日差しの下、沢山の若者達が思い思いに行き交い、露店ではアクセサリーを並べたり、タトゥまで彫っている。そんな生き生きとした人込みの中を、一人の車イスに乗った女性が走り抜けて行った。それがひときわ輝いてみえた。
一週間の研修旅行から帰って来た今思えば、研修日程が早まっての準備不足と、車イスや自助具など日本との違い、実際どういう自立生活を送っているかを見られずとても残念だったが、電車、飛行機、バス、タクシーなど車イスで沢山の移動手段を使って見ただけでも大変勉強になった。
この海外研修の成果をこれから自分や地域に役立てることが出来たら最高の事だと思う。
現地のガイドさんの話を聞きながらバスで移動するだけでもとても楽しく、文化や習慣の違いを見ることが出来た。日本の文化はとても良いとは思うのだが、外国から学ばなければならないところも沢山あり、またいつか、どこかの国へ行ってみたいという気にさせられた。その時は少しでも言葉を覚えていかないといけないと思う。
簡単なコミュニケーションが取れるだけで、その旅が何倍も楽しくなるだろうと痛感した。
山崎 勉