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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第68号

小児のスポーツ障害

今年もはや二カ月が過ぎ、春の足音が聞こえてきました。
プロ野球もキャンプの真っ只中、3月20日頃には高校野球の春の選抜大会も始まります。

今回は子供のスポーツ障害というテーマでお話しします。
スポーツ障害というと脱臼、つき指、骨折、肉離れ、捻挫などが頭に浮かんできます。小児のスポーツ障害の外傷の中では骨折が一番多いといえましょう。
統計からいいますと男子と女子では約4倍も男子に多く、運動をしている男子と、していない男子では3倍位と圧倒的に運動をしている男子に多いようです。
重症度という点からみますと比較的重症になることは少ないようです。
アメリカのSchoolAgedChildrenつまり日本での小学校高学年、中学生、高校生の調査では骨折の80%はあまり重症ではなく、残りの20%が多少重い外傷であったとの報告があります。
小児のスポーツ障害が成人より多いのは何故なのでしょう。
発育期の一つのと特徴として、骨より靭帯の方が強く、骨、関節軟骨はまだ外力に対する抵抗力が弱いと言えます。
成人では大丈夫な力でも骨、軟骨の力がまだ不十分な為、骨、軟骨に負担がかかるようになるためです。
最近、子供にスポーツをさせる事が盛んになってきています。集団的な訓練を相当多く受けている子供も多くなり、それに伴い障害も多くなっています。
原因として、まず練習のし過ぎが上げられます。
今の小児は運動をする子は全然しないし、運動する子は長時間ハードな練習をするようです。

肩の障害は成人に比べるとかなり少ないようですが、アメリカでは水泳選手、特にバタフライの選手にそれも1日1万m以上泳ぐ選手に肩の障害の発生が多くみられます。肘では十数年前から問題になっていますが、野球肘といわれるように野球をしている、それもピッチャーに多くみられます。(ソフトボールの選手にはあまりみられません)投球動作の加速期(腕を後から前にボールを離すまで)に内側が引っ張られるような動きをするために障害がおこります。
外側の方は骨と骨がぶつかり合う力が働くために軟骨sヒき指で一番注意しなければならないのは骨折になっている危険がありますので、引っ張ったりしないようにして、出来るだけ早くレントゲンで確認することです。
脱臼の場合でも、関節包の一部がはさまってしまっていることもありますのでレントゲンで確認することをお勧めします。
走っていたりして、よくおこるのが肉離れといわれる一部の筋断裂です。
筋膜まで完全に切れることはありません。
内出血が筋肉中で出来る場合と皮下でできる場合がありますが、クーリングをして安静にすることが一番よい治療法です。
膝の場合は靭帯が切れたりすることはほとんどみられず、元来大きい円板状になっている半月板、それも外側の半月板の断裂がみられる事があります。

昔から子供の膝の障害で一番多いのはオスグッド・シュラッター病といわれる膝の少し下の飛び出している所に痛みが出現する病気です。
小学生中~中学生に多く、レントゲンで脛骨粗面部に骨の分節化が特徴です。
痛みがある時はスポーツを止めた方がいいですが、完全に痛みが止まるまでやめる必要はないようです。
少し位の痛みでは少しスポーツをやっても問題はありませんが、ジャンプするスポーツはしない方が良いです。
膝にはあまり多くはありませんが、筋肉が強いために軟骨の損傷がおこったり、膝蓋骨(俗にいうお皿)にも損傷がおこる場合があります。
またマラソンのように長距離を走ったりする時に疲労骨折とかシンスプリント(筋肉による骨膜炎)がおこる事があります。

足では踵の骨(踵骨)に骨端炎 がおこり疼痛を訴える事もあります。
腰では脊椎分離症というものがあり、これは早期に発見しコルセットをつける事によって治りますが、腰痛が早期より強くでないため病院に来るのが遅くなり、慢性的な腰痛になる事もみられます。
スポーツ障害を少しでも少なくするにはどうすればよいでしょうか。
一番大切なのはスポーツを過度に行わないようにする事。又、一カ所だけに負担をかけないようにする事。たとえばうさぎ跳びとか投球動作ばかりをしないようにする事。目の前の勝利よりも選手が体力のある健全な肉体をもった大人になることを目標にして運動をすることが大切です。僕も行けたよ、アメリカへ
今から十年位前に、彼、山崎 勉君は交通事故により首から下がマヒ状態になりました。彼の障害は重く、自分の事は何一つできません。
十年程前に富山にあるリハビリテーション病院に派遣された僕は、障害を持つ人々のリハビリを初めて長期間受け持つことになりました。
それまでは事故直後の患者さんを診ることはあっても、退院してからの本当の意味でのリハビリは本では知っていましたが、実際は初めてでした。

詳しいことは「ふきのとう」という本に書きましたので、ここでは割愛させていただき彼の事に戻りたいと思います。

介護

皆さん、朝起きた時からベットに入るときまで誰かの介助が必要という不便さが分かりますか。
寝返りももちろん出来ません。寝たときのまま朝までその姿勢です。
顔を洗うのも歯を磨くのも、食事、トイレ、移動となにもかもが一人では出来ないのです。
献身的な介助を彼のお母さんが淡々としていました。
時には笑いながら、こまやかな愛情で彼の世話をしていました。
でも、病院の片隅で、湯沸かしの横で、あふれる涙をエプロンで拭いていた事もありました。
何度後悔したことだろう。あの時、あんなことがなければと・・・・・
ティーンエイジャーの彼は夢一杯だったはず。
一瞬の事故が、油断が、彼の将来を奪ったと僕は思いました。
でもそれは大きな過ち。彼の将来はその時から違う道へ歩み出してしたのでした。
1994年、「より良い地域医療のために」という会を発足させました。
その会に元阪神の掛布さんを招いて講演をすることになり、富山から友人を招きました。誰もが障害を持つ車椅子での参加です。
初めての空の旅から楽しそうに空港に到着した中に山崎君もいました。彼のお母さんも一緒でした。
久しぶりに会う彼の元気な様子に一安心。体温の調節の出来ない彼らを実は心配していたのです。
富山空港から東京羽田空港、そこから高松空港と結構長時間になるからです。
でも今の飛行機は感心にも障害者にやさしい設計だったとか。
年月は彼を成長させていました。それまではお母さんに甘えっぱなしで何もかも任せていましたが、やっとその暖かい手から飛び立つ決心をしたようでした。
高松より帰ってから、彼は伊東重度障害者センターに入所しました。
人に何もかも任せなければ何もできない彼にとって、不安もあったことでしょう。
でも、いつかは一人になることを考えると、それも訓練。いつまでもお母さんに頼ってばかりはいられません。
時折届く季節の挨拶にはワープロが打てるようになったと書いてありました。
えらい事に彼の手紙はいつも手書きでした。口にくわえたペンを上手に動かし、一字一字一生懸命に書いてきます。
もちろん達筆とはいえませんが、彼の手紙を見る度に何故とはなしに安心するのです。ここにも果敢に挑戦している青年がいると。
僕にはその勇気が何よりうれしいものでした。
一年以上をそこで過ごした彼はやがて退所、親元に帰っていきました。
昨年はパラリンピックの観戦にも行き、そこで刺激を受けて柏崎ではツインバスケットのチームを作り順調に活動が続いているそうです。
さてさて、これでゆっくりと過ごすのかと思っていたら、彼はとんでもないことに又も挑戦したのでした。
それは糸魚川市が派遣する市民海外研修の応募でした。
カナダ、アメリカと一週間の旅程でその地の民間の障害者のための施設を主に見学するという研修旅行。
彼のやる気の前には不可能という文字はなかったのです。
身の回りの自立している人が対象でしたが、説得、交渉と前向きな姿勢に、すんなりOKがでたようです。
う~ん、人任せにしないで自分が動く。なせばなるとは良くいったものだと感心しました。ここで、はたと気がつきましたが、彼の紹介をしているうちに紙面に限りがきてしまいました。彼のアメリカ研修旅行の報告書が届いていて、それを掲載しようと書き出したのですが、誠に申し訳ありませんが次号をお楽しみに・・・