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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第59号

運動療法

日本医師会、厚生省も運動療法の大切さを少しでも一般の方にわかっていただこうとPRを行っています。
これからの病気の予防のためにも運動療法を普及させることが医療、病院の使命だと思います。
今回は運動療法を行う時に少しでも手引きになればと思い、二回にわたって取り上げることにしました。

運動療法とは・・・・・

医学とは病気やケガを治すことをさしますが、その医学と運動とが結びついたのは意外と古く、古代の中国、インドの書物にも書かれています。
呼吸体操といわれたものが、人間の健康や病気の治療などに活用されたようです。
またローマ、古代ギリシャでもランニング、乗馬などの運動が健康維持に利用されています。
16世紀になり、メリクリアリスという医師が"医療体操"の中で「運動は健康を維持するものでなければならない。」
「運動は体の各部において適当な刺激が加わらなければいけない。」
「健康な人は規則正しい運動をすることが必要である。」
「病気の人は現在の病状を悪化する恐れのある運動をしては行けない。」
「回復期の患者には、それぞれの人の体質に応じて特種な運動を処方することが必要である。」などと述べています。
特に最後に「座りきりの生活をしている人は、まず第一に運動することが必要です。」と書いてありました。
これらは現在のリハビリテーションにあてはまり、運動療法の基本になると思います。始めるにあたって・・・・・
運動療法をうまくやっていくには、まず人間と運動について科学的に理解することが大切です。
運動時に体がどのように変化するのか。
筋肉、骨、関節、ホルモン、呼吸、循環といったものがどのような変化をするのかを理解する必要があります。
まだ残念ながら我が国では、スポーツ医学というものが十分普及しておらず、ヨーロッパ、アメリカに比べると遅れています。
科学的に解明されたもの、科学的な事実に基づいて医学の中に取り入れていかねばならないからです。
進め方・・・・・
実際に運動療法を行う場合、どのような考え方で進めていけばよいでしょうか。
まずは運動をやってもいいかどうかの判断が大切です。
運動療法の適応としては、第一に回復期にある人、慢性期で症状が安定している人には絶対的な適応と考えます。
この時期に適度な運動をすることにより症状の改善が期待されます。
でも中には痛みがひどく、苦痛以外の何物でもないとお叱りを受けることもありますが、骨折などの後の運動療法は何より必要な社会復帰の第一歩と考えて頑張って下さい。
お年寄りなどが寝たきりにならないためにも、介護をしながら処方された運動をすることをお薦めします。年寄りだからかわいそうとか、もう年だからいいわと考えずに手足を動かすように努力して下さい。
このように病気の後や障害の後の運動は、私たち健康人が考えている以上に痛みを伴う場合もありますが、大切な事と考えていただきたいと思います。
又、健康な方も適度な運動で驚くほどの効果があることを自覚していただきたいと思います。特に成人病などの予防には必要です。

次回は筋肉、骨、ホルモンなどについてお話しします。

007についての考察 思い出の映画

今年の3月に「007」18作目の「トゥモロー・ネバー・ダイ」が公開されました。日本の寅さん映画と並び長寿を誇っています。
1962年、「007は殺しの番号」が制作され、現在のアクション映画の原点になりましたが、007の生みの親イアン・フレミング、007映画の制作者アルバート・ブロッコリー、ハリー・サルツマンも今は亡き人になりました。
「インディ・ジョーンズ」シリーズ、「ダイハード」シリーズ、「ブリット」、「ナポレオン・ソロ」シリーズなどの中にもふんだんに取り入れられています。
英国の秘密諜報員、殺しの許可証「007」を持つ男、ジェームス・ボンドが銀幕に登場、ショーン・コネリーがボンド役として好演しました。
銃はワルサーPPK、(余談、ジェームス・ボンドは本当はワルサーPPKよりも女性用のベレッタを好んでいましたが、上司のMよりの命令でワルサーPPKに変更させられました。ジェームス・ボンドといえども上司には逆らえなかったのかな?)
ウォッカよりシェイクしたマティーニを好み、車はアストンマーチンDB5と決まったスタイルを崩しません。
原作者イアン・フレミングが映画化の時につけた要求が「原作のとおり英国で作り、主演も英国人で」でした。
今、ジェームス・ボンドも5代目を迎え、すべて英国人がボンド役をしています。
一代目 ショーン・コネリー  二代目ジョージ・レーゼンビー
三代目ロジャー・ムーア    四代目ティモシー・ダルトン
五代目ピアース・ブロスナン
1963年、「007 危機一発」が上映されました。
映画に合わせて題名が"一発"となりましたが本来の四文字熟語では"一髪"が正しく、国語の問題で頭にこびりついた一発と書いてバツをもらってしまいました。
リバイバル上映は「007 ロシアより愛をこめて」
列車の中での対決シーンはあまりにも有名でした。
時計の中から出てくるワイヤー、アタッシュケースの中の様々な仕掛けが楽しくて、アタッシュケースを持ち歩くサラリーマンが増えました。
1964年、「007 ゴールド・フィンガー」
この映画で"金"により国の力が変わる事を知りました。
愛車アストンマーチンDB5が初登場、以降の作品にも数多く出てきます。
羊の皮をかぶった狼のように、外見は英国らしく地味で陰気臭いのですが、いざ走ってみると世界最速のポルシェ、フェラーリよりも速く、性能も卓越していました。
追跡装置(現在のGPS)もついていました。
4作目、「007 サンダーボール作戦」
4倍の費用、4倍の面白さがキャッチフレーズで、スキューバ・ダイビングに興味が沸きました。
5作目、「007は二度死ぬ」
日本でロケが行われ、日本の国技すもうも取り上げられました。鹿児島、姫路城などで撮影され、丹波哲郎、浜美枝、若村映子等、東宝が全面協力しました。
6作目はショーン・コネリーがボンド役を降り、ジョージ・レーゼンビーに変わり新しいアクション映画を作りました。
スキーでのシーンのアクションはすばらしく印象深いのですが、最愛の妻トレーシーが殺されバックに流れるルイ・アームストロングの「愛はすべてを越えて」が悲しみを誘いました。あまり評判は良くありませんでしたが、私の好きな映画の一つです。
7作目、「007 ダイアモンドは永遠に」
再び、ショーン・コネリーが復帰しましたが、以後この作品に彼がでることはなく残念です。
8作目、「007 死ぬのは奴らだ」
三代目のロジャー・ムーアの登場です。「エクソシスト」の大ヒットもありブードゥー教、タロットカード等が出てきてオカルト色が出ていました。
9作目、「007 黄金銃を持つ男」
以前のようなアクションは少なく、評判も今いちでした。
ロジャー・ムーアのボンドは紳士過ぎ、荒々しさに欠けてサラリーマン的スパイになっているように感じました。
10作目、「007 私を愛したスパイ」
10作目の記念として今までのシリーズのパロディがちりばめられていました。
ファンにはうれしい作品で年間ヒット映画にもランクインしました。
11作目、「007 ムーンレイカー」
前作にお金をかけ過ぎたのか低調な映画でこの時期はアクション映画の低迷期でもありました。
12作目、「007 ユア アイズ オンリー」
スーパーマンのヒットにあおられてジェームス・ボンドもスーパーマン的な活躍が目立ちました。
13作目、「007 オクトパシー」
イアン・フレミングの原作がなくなり、新たに作品を起こしました。
スリル満点の派手なテンポでロジャー・ムーアの中では好調な映画でした。
14作目 「007 美しき獲物たち」
ロジャー・ムーアの動きのにぶさが目立ちましたが、コンピューターのマイクロチップを題材にし、時代の流れに沿っていました。
15作目、「007 リビングディライツ」
4代目、ティモシー・ダルトンに変わり、シリーズの原点に戻った感じで空中アクションが見せ場でした。
少しゴツイ感のあるボンドですが、ロジャー・ムーアよりボンドらしかったです。
16作目、「007 消されたライセンス」
たとえ殺しのライセンスを失おうとも親友の仇を討つことが先決とMの指令を無視し、麻薬王に挑むボンドでした。
17作目、「007 ゴールデンアイ」
5年以上も映画製作されず007もこれまでかと思われた時、5代目ボンドとしてテレビ映画「レミントン・スティール」で人気を博していたピアーズ・ブロスナンが登場、彼はボンド映画のファンでこの映画に出演することが夢だったそうです。
ボンドと共に時代の移り変わりを見てきたように思います。
中学時代、まだ良くわかりもせずにボンドの活躍を本で読み、大人になって読み返した時に作品にちりばめられたウィットや言葉の意味を初めて理解し、映画によって又新たな楽しみを受けたように思います。 彼の頑固なまでの紳士的な役柄が、めんめんと続いた大英帝国の香りをふまえた上での作品であり、イアン・フレミングの最も大切にしていた彼の誇りでもあるのでしょう。