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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第44号

少しのやさしさを

スーパーなどに障害者専用の駐車場があるのにお気づきですか。
一番入り口に近い場所に、障害者の方々のためのスペースが確保されています。
ところがここに健常者が知らん顔で駐車していくのです。
若く、健康な彼らが障害者用のマークがあるにもかかわらず、簡単に止めて店に入っていくのを注意したこともありました。
ほんの少しの思いやりが、"社会"を障害者に提供できるのです。
車椅子のマークがあったら、どんなに急いでいる時でも"止めてはいけない"マナーであることを身につけましょう。
そのスペースが障害者と社会をつなぐ心と心の架け橋だと思って下さい。
自分の足で大地をふみしめる事が当たりまえで、その足で走ることも飛び上がることも出来るあなたには想像もできないかもしれません。
でも一番良い場所に駐車スペースを提供していることを考えてみれば、彼らの日常がいかに困難な事か想像できるのではないでしょうか。
障害を持つ人でも車の乗り降りや車椅子への移動が自分で出来る人もいれば、介助の必要な人もいらっしゃいます。
健常者は車から降りる時は、片足をスッと出せば降りることが出来ます。
でも彼らはそうはいきません。
ドアを開けて、車椅子を出して、足を両手で動かして、お尻を両手で持ち上げてと大変なことなのです。
だから一番良い場所に駐車スペースが確保してあるのです。
当院も障害者用の駐車スペースを用意する予定です。
健常者の方は「急いでいるから」とか、「ちょっとの時間だから」とか、「他に空きがないから」などという安易な気持ちでこのスペースを利用なさらないようにお願い申し上げます。
ただし、緊急の場合は例外といたしますが、この場合も患者さんを当院に収容した後は速やかに移動させて下さい。
あなたのちょっとした思いやりが、今、必要なのです。
その第一歩を示すことにより、障害を持つ人も健常者も気持ち良く社会に溶け込んでいくことが出来るのだと思っています。

鼻の先から尻尾までパート4 東京女子医科大学脳神経センター神経内科教授 岩田 誠 足を見る

その原因が何であれ、痛みだけは取り除いて欲しいというのは、すべての患者さんに共通の訴えである。
医療の歴史の中で、痛みとの闘いほど古くから続けられてきたものはないが、今日でもなお痛みを完全に征服するためには至らず、われわれは様々な痛みに苦しみ続けなければならない。
「この痛みさえなければ・・・」と嘆きつつ、これに耐えなければならないのは、みじめである。
中略
このような、いとも辛い痛みに苦しんだときには、痛覚などという要らぬものを与えて下さった神様を恨みたくなってしまう。EKCを放っておいたために角膜びらんを生じ、「この痛みさえなければ」との叫びを発しながら、そう思った私ではあったが、痛みのない世界の凄惨さを知ると、今度はこのときの痛みに感謝したくなるのである。・・・・・
私が痛みを失うことの凄惨さに気がついたのは、18年前にハンセン病(らい)の診療に参加したことがきっかけとなった。
当時米国留学から帰国したばかりの私には、時間の余裕と旺盛な好奇心があった。
そのとき、月一回らい療養所に応援に行って欲しいと言われた。
私はそれまで、パリで学んだときに1例、アメリカでもう1例と、たった2例のらい患者しか診たことはなかったのだが、医局長に、君以外の医者は誰も"らい"を診たことがないから、君が最も経験者であるんだと言われた。
そんなことから、この不思議な病気の世界に足を踏み入れると、神様が痛みを与えて下さった理由が本当に良く理解できるようになったのである。
その中で特に印象に残ったエピソードを、紹介しよう。
・・・・・
Aさんは両手の手指が屈折したままになっており、伸展できなかった。
しかしどうも運動麻痺による屈曲拘縮とは違っているようだった。
それは、手掌の火傷で生じた皮膚のひきつれだったのである。話を聞くと、昔、火鉢でスルメを焼いた時に受けた火傷の跡だということである。
焼き網の上にスルメを載せて焼いていると、スルメが丸まってくるので、これを掌で網にぴったりと押しつけて焼いたのだという。
「ちっとも熱くないから平気だったけど、気がついたら手も焼けてたよ。」
痛みのない部分を、火傷は容赦なく襲う。
Bさんは、発症後30年という長い病歴を有する患者さんだったが、右の総腓骨神経麻痺と、両手の一部に生じた狭い領域の痛覚消失のみがみられる程度の、比較的病状の軽い方で、月1回外来に通院していた。
ある日「どうも左目がかすんで見にくい」と訴えるので眼科で診てもらうと「角膜に細かい鉄片がいくつか刺さっているので、磁石を使って除去しました。」との返事であった。そこでもう一度よく診察すると、両側の角膜の感覚はほとんど消失していた。"らい"では顔面神経が侵されて兎眼になることが多いので、角膜損傷は珍しくないが、Bさんでは顔面筋は正常であったため、私も油断していた。
角膜にも痛覚だけはあるという重大な意味を、つくづく考えさせられた。
Cさんは発症後数年しかたっていない若い患者であり、運動麻痺や筋萎縮はなかったが、表在感覚の低下は四肢全体に広がっていた。
あるとき、彼の大腿側面に、筋膜まで達するほどの真ん丸な穴が開いているのを見せられ、私は仰天してしまった。
入浴中、湯の沸きだし口の前にしゃがんでいたために受けた火傷であるという。
「熱くなかったの?」と尋ねる私に、彼は「熱くなかったけど、風呂から出て見たら、色が変わっていた。」と答えた。
・・・・・
痛みには、大きく分けて2つのものがある。その1つは、痛みの受容器を介して生じる侵害受容性の痛み(nociceptivepain)であり、他方は、神経損傷により、通常の痛みの受容器を介することなく生じる、神経原生の痛み(neurogenicpain)である。後者は自然条件下の現象ではなく、まったく必要のない痛みであるが、前者の痛みは文字通り、侵害刺激から身を守るために必要な能力である。
侵害受容性の痛みを失ったことから生まれる凄惨さを知れば、痛みがいかに必要かわかる。侵害受容性の痛み、すなわち正常の痛覚を失った患者は多い。
ハンセン病に限らず、糖尿病性ニューロパチローなど様々な末梢神経障害や脊髄空洞症などの脊髄疾患では、痛覚消失で外傷の火傷を負い、四肢の切断や変形など取り返しのつかない事態に至ってしまうことが少なくない。
特に、下肢の感覚障害のある場合には、足底や足指などにひどい怪我をしていても、本人はまったく気がついていない事がしばしばみられる。
そんな可能性のある患者さんに、私はいつも「一日一回、足をみましょう。」と指導している。
失われた痛覚に変わって視覚により外傷や火傷の存在に気づく必要性があることを、きちんと自覚することが、悲惨な結果を生み出さぬために必要なのである。

沈黙の臓器
肝臓は「沈黙の臓器」「寡黙の臓器」といわれています。
これは肝臓にかなりひどい病変があっても、そのわりには症状が出にくく、ことに痛みを感じることがほとんどないためです。
今回はその肝臓のしくみと機能についてお話ししましょう。
肝臓は五臓六腑のうちで、容積、容量が最も大きな臓器です。
成人男子で1000~1500g、女子で900~1300gあります。右上腹部からみぞおちにかけて横隔膜の下にあり、ふだんは肋骨の下にかくれていて、脳と共に体の中で最も重く、多量の血液を入れています。
肝臓は消化管の上皮に由来する腺であり、胆汁を分泌するので消化器として取り扱われています。
でも栄養物質(グリコーゲンなど)の貯蔵、各種の代謝、解毒、血球の破壊(あるいは産生)など数多くの機能を有するきわめて重要な器官の一つです。
一般に重大なことやなくてはならないものを「肝心・肝腎」「肝要」と表現されたり、また重要なことを心に言い聞かせるという意味で「肝に銘じる」などというのも、このことを表しています。
また、肝臓の英語は"Liver"は「生きる人」の意でもあり、ドイツ語の"Lever"は「命」"Leben"からきたもので、洋の東西を問わず、肝臓は重要でなくてはならないものとして表現されています。
肝臓はウイルス、アルコール、薬剤などによって障害を受けます。
でも、肝臓は十分な予備能力をもっており、多少の変化では明らかな機能障害は現れにくく、かなり頑張ってそれらを阻止する努力をしています。
それでも、いくらでもわき出る泉と違い、やはり能力の限界はあり、暴飲暴食はつつしむのが一番です。
肝臓の機能に障害が起きると、物質代謝や分泌・排泄機能などに変化が生じ、その結果、血液成分や尿成分に異常が見られることになります。
少しでも自覚がありましたら、早めの検査をなさる事が肝要です。
お知らせいたします。
1994年、4月に当院で「障害を受け入れるために、心ふれあう場を、皆の手で」という題で講演をして下さった鷹西君が、今春無事大学を卒業することが出来ました。彼は頸椎損傷で車椅子の生活をしながら看護婦の奥さんに支えられ、数々の困難を克服して1月"社会福祉士"の国家試験に臨みました。
結果はまだ分かりませんが、大学生活で得た福祉の勉強が彼らのような障害者のために、社会に役立てる日が近いことを確信しています。
かれの前途にたくさんの祝福がありますように。