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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第43号

MRIについて

新しい病院になり、皆様方からのMRIの問い合わせや予約にスムーズにお応えできず、大変ご迷惑をおかけ致しました。
設置してから画像の調整などに一カ月を費やしましたが、やっと完成となりました。今月よりMRIの予約を受付ますので、よろしくお願いいたします。

さて、MRIってどんなものなのかとお思いの方もいらっしゃると思います。
簡単に説明したいと思います。
<RO(磁気共鳴画像)というのは、X線を使うことなく体内の状態を外部から検査する方法のことで、強い磁石と電波を使い身体の断面を正確に写し出すものです。
現在、一般に使われている画像診断法であるX線撮影とCTをMRIと比べてみますと、X線撮影とCTではX線を使いますが、MRIでは強い磁石と電波を使って画像をつくるという違いがあります。
X線撮影では時として骨が邪魔をして、内側が写らないことがあります。CTでは骨が邪魔をすることは少なくなりますが、一方の断面(横断面)しか写せません。
でもMRIの場合は、身体のあらゆる角度から鮮明な断面をうつすことが可能です。MRI検査では、強い磁石と電波を使いますが、普通の人にはまったく無害であることが確かめられております。
ただし、心臓ペースメーカーや刺激電極を身につけている方は、MRI検査はできません。以前に外科手術を受けられて、人工関節などの金属が埋め込まれている方も検査の妨げになる場合があります。
詳しい事は担当の医師にご相談下さい。

現代人の敵、不眠とは!

文明社会は睡眠を慢性的に犠牲にするような活動様式になってきました。
夜中も営業するコンビニエンス・ストア、深夜まで続く仕事や繁華街など、都会になればなるほど人々は時間に追われ、体力の続く限り、睡眠がなおざりにされています。その結果、ストレスによる精神的ダメージも大きくなり、知らない間に身体は大きく蝕まれているのです。
もはや若さだけでは克服できない社会情勢の中で不眠についての諸悪をお話ししてみたいと思います。

まず、以下の項目についてあなたの眠りのチェックをしてみて下さい。
・寝付くのに時間がかかる。
・寝付いたのち、しばしば目が覚める。
・夜中に目が覚めると、ふたたび寝付くことが難しい。
・いやな夢を見ることが多い。
・いつも"大いびき"をかいて寝ていると言われる。
・もっと寝ていたいのに、早朝に目覚めてしまう。
・目覚めたあともなかなか眠気がとれない。
・昼間についうとうとしてしまうことが多い。
・自分の眠りに満足していない。

いくつ当てはまりましたか?
該当する項目が多いほど、あなたは不眠の傾向があることになります。
不眠はすぐに生命にかかわる問題ではありませんが、眠っているべき時間帯に眠れず、起きているべき時間帯に眠いので「生活の質」を長期にわたって損なっていることになります。なんらかの原因で不眠が生じると、それが次々に悪影響を生み出します。夜間の睡眠が好ましいものでないと、日中に過度の眠気を生じてはねかえり、居眠りが頻発します。これが「過眠」です。
その結果はさらに夜間の眠気の低下として反映され、不眠を助長することになります。不眠症および過眠症には多くの疾患があり、一過性の軽いものから、重篤のものまであり、専門医の治療の対象となっています。
最近、睡眠障害の国際分類が改訂され、不眠症および過眠症に該当する疾患は「睡眠異常」という項目の中で34種類あることになっています。
その他に原因が体内の異常に求められる疾患群が13種類あります。
例えば、睡眠時無呼吸症候群という呼吸疾患が原因だったり、精神的なストレスに起因する不眠や遺伝病であるナルコレプシーなどがあります。
さらに原因が体外の条件に求められる疾患群が14種類あります。
これは睡眠環境が適切でなかったり、高山で酸素圧が低いために起こる不眠や睡眠薬やアルコールなどの薬物や食物を原因とする睡眠障害がそれです。
では不眠を克服するにはどうすればいいのでしょう。
まず原因を解明することが要求されます。
軽い不眠や過眠なら、これに対処するのはそれほどめんどうではありません。
第一には、めりはりのきいた規則的な生活をすることです。
そして、起床したのち強い光を浴びること。身体を動かしたり朝食をとったりして体温を高めエネルギーを脳に補給することです。意欲的に行動して大脳を活性化することが有効です。
第二は、脳は眠る直前までの睡眠不足量をもとに眠りの質と量を決定しています。
だから連続して長く起きているほど、良質の深い眠りが得られます。 逆に居眠りや昼寝をしたならば、その分だけ熟睡しにくくなりますから、昼間に少しぐらい眠くっても頑張って活動したほうが良質の眠りが得られます。
以上をまとめると、めりはりのきいた規則的な生活をし、不眠と過眠の悪循環を断ち、断眠と熟睡の好循環の軌道にのせればよいということになります。
現代の社会構成の中で過度の仕事量を抱え、日夜働いている方々には夢物語と思われるかも知れませんが、たまには立ち止まって回りを見てみませんか。
たった一つしかないあなたの生命が一番大切なのですから。
井上昌次郎著書の「ヒトはなぜ眠るのか」から参照しました。

鼻の先から尻尾までパート3 東京女子医科大学脳神経センター神経内科教授 岩崎 誠神様の失敗 

1 神様が粘土をこねあげてヒトを創造されたのだとすると、人体というものは実にびっくりするほど巧妙に、そして美しくできていて、神の御業には非のうちどころがないように思われる。
なかでもとくに素晴らしいのは、その手足である。この滑らかで美しい動きを実現している体肢は、まさに神の傑作中の傑作といえる。ところが一方、どう考えても神様が手抜きをなさったのではないかと疑いたくなるところもある。
いや、神様も決して手を抜こうと考えられたのではなく、おそらく設計ミスだったのではないかと思う。 そんな神様の失敗の第一として、私は頸椎を取り上げたい。
甚だ不遜ながら、神経内科の医者である私は、神様の設計ミスのずさんさを追求しないわけにはいかないのである。
そもそも金魚みたいに水の中だけで暮らしているなら、首なんて必要ない。
右を向いたり、見上げたり、あるいは振り返るのだって、水の中なら身体ごと方向を変えればよいのだから、首なんか作って無理に曲げたりひねったりすることはないのである。
魚たちでは、頭蓋に連なる脊椎骨には、その最初から肋骨がついているので、頸椎はなく胸椎から始まっていることがよくわかる。
頸椎ができたのは、脊椎動物が陸に上がったときである。
大地にしっかりと手足がついて身体を支えたのはよかったが、これではちょっと後ろを振り返るにも大仕事であることに気がついた。
蛇のように身体全体がくにゃくにゃと曲がるならいざ知らず、頸椎がなければ口のすぐ右側にある餌を食べるのにさえ、身体全体の向きを変えなければならないではないか。
このことを予見しておられた神様は頸椎という実に便利な仕組みを考案しておられた。そして、この頸椎骨の間に軟骨、すなわち椎間板を置き、この軟骨の弾力を利用して、いくつかの頸椎同士が互いに少しずつずれ合うようにすれば、たとえ胴体が四つ足で大地に釘付けされていても、右も左も、上も下も向くことができるし、ちょっと無理をすれば後ろを振り返ることだってできる。
エウレカ!脊椎骨という画一部品をほんのちょっと加工するだけで、頭を胴体とは独立して動かすシステムができた。神様ご自身だって、これは大変な発明だと思われたに違いない。
四つ足で歩いている間は、これは素晴らしい仕掛けだったが、ヒトが、四つ足時代の頸椎のままで立ち上がってしまったときに、問題が出てきた。
直立して身体を起こしたままでいると、頭の重みがずっしりと頸椎にかかってくる。しかし神様には、脊椎動物を二本足でたたせた経験がおありだった。
恐竜と鳥のときには、頸椎の設計変更をなさらなくとも、事はうまく運んでいたのである。だから神様には、十分な自信がおありだった。
ヒトの脳みそは恐竜や鳥のそれよりはずっと重くなっていたことや、鳥は空中で魚のように身体ごと向きを変えることができたことも、あまり大きな問題ではないと思われた。
ところが、いざ神様のお勧めに従って立ち上がってみると、その脳みそは、脊椎動物の進化史上それまで経験したことのなかったびっくりするような重さだったことに気づいたが、ヒトは何とかそれに耐えてきた。
しかし、椎間板がたかだか40年の耐久性しか保証されていなかったことは、すっかり忘れられていた。いや、神様も多少は不安に思われたかもしれない。
でも40年もてば結局一生保証されるのと同じじゃないか、というのが、神様の結論だった。結局、頸椎には特別な設計をせずに二本足で直立、ということになった。
ところが、神様の予想を裏切って、ヒトは40歳をすぎても延々と生き続けてしまう。そんなわけで、誰でも40年も生きると、頸部変形性脊椎症、略して頸椎症というやっかいな病気に悩まされることになったのである。
来る日も来る日も、重い頭をのっけたまま、上を向いたり下を向いたり、振り返ったりしているうちに、すりこぎで摺られるようにして徐々にその弾力性を失った頸椎の椎間板は、どんなに変形してもまた元の形に戻ることのできた時代を忘れ、くたびれ果てた線維塊となって骨と骨の間からはみ出したままになってしまうのである。
耐久性40年という材料なのだから致し方ないのだが、なんとも情けない姿である。