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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第38号

頸部脊椎症について

頸部変形性脊椎症(Spondylosisdeformans)と正式にはいいます。
ようするに老化現象のひとつで、椎間板が狭くなったり、骨の角が出っ張って起こる病気です。
頸椎というのは、椎体や関節突起という骨性部分と椎間板に代表される軟部組織の部分からなり、これを併せて頸椎あるいは頸椎柱と呼んでいます。
これらすべての老化現象が頸部脊椎症です。
症状としては、手のしびれ、肩こり、さらに進むと足のしびれ、最後は寝たきりの状態になり、おしっこもうまく出なくなる病気です。
老化現象というと若い人は関係ないと思われるかもしれません。が、安心するのはまだ早い。20才を過ぎれば椎間板の老化が始まる事をお忘れなく。
なに!!っとお思いの方。説明しましょう。
椎間板のみずみずしさが失われはじめるということです。
だから若い人の肩こりが起こっても不思議ではありません。
椎間板性の肩こりですが、レントゲン所見にはまだ現れません。
変形が起こっていないのですから頸部変形性脊椎症とはいわず、頸部椎間板症という一つの前段階の病名がつきます。 一般には50才~60才に多く、それ以上の年齢になると体が硬くなるために動かなくなりますので、症状としては出にくくなります。

大きくわけて4つの段階の症状があります。
第一段階:肩こり、頸すじの痛みでこれを局所症状(ローカルサイン)といいます。
第二段階:上肢の症状(手のしびれ)、腕がだるい、手まで神経痛が走るなどがあります。もう少し症状が進むと親指と人差し指の間の肉の厚さが薄くなります。又、電車の吊り革につかまれなくなるような、三角筋、上腕二頭筋など筋肉の萎縮(萎縮とは筋肉が痩せること)や肩甲骨周囲の萎縮、指の細かい動作がぎこちなくなる巧緻運動の障害などが出現します。
第三段階:足がつかれ易い、転びやすい、足先からしびれが上に上がってくる、おふろに入っても上半身と下半身の暖かさが違うように感じる温痛覚の低下、排尿障害などの体幹・下肢症状となります。
第四段階:めまい、失神発作と言われる脳底動脈の循環不全などの症状があります。

頸椎は7つの椎体とその間に挟まっている椎間板から成り立っています。
その椎体のうしろに脊髄神経が通り、その脊髄から手や腕にいく神経が枝分かれしています。
その脇に椎骨動脈が下から上に上がっていって脳底の循環を司っています。
枝分かれして手にいく神経を神経根といい、それが椎間板だとか、骨の棘により圧迫されるところにあります。
体の足のほうにいく神経、脊髄も椎間板や骨の棘により圧迫されます。
椎骨動脈も同じように圧迫あるいは刺激されて脳にいく血流が減ります。
ですから先に上げた4段階の症状が現れる訳です。
女性に限らず男性も含めた一種の背骨の更年期障害のような病気です。
なぜならもっと年を取って、体がもっと硬くなると動かなくなりますから、同じ変形があっても症状としては出にくくなります。
これは安定期に入るわけで、中途半端に若い50~60才頃が一番悪い状態に感じられるのです。
治療について
この病気の99%は大事にいたりません。大部分の方は肩凝り、首の痛みがありますが何年かが経過(約10年未満)するうちには落ち着いてきてしまいます。
ごく僅かな人が手のしびれ、痛み、筋肉の萎縮というところまで進み、足がいうことをきかない、尿の出かたが悪くなるという脊髄の圧迫症状が出ます。
でも頸椎の動きが少なくなることにより症状が軽減したり、ストップします。
その間にあって気をつけないといけないのは外傷です。
軽い状態で止まっているような人でも、首にケガを受けることによって、症状がものすごく悪くなる事があります。
椎間板にしろ、骨の棘にしろ、それによって脊髄が慢性の圧迫状態にあってギリギリの状態で正常の機能を営んでいるのですから、ごく僅かでも外傷が加わると、そのギリギリの状態のバランスが乱れて、一気に症状が噴き出す場合があるます。
ですから首にケガを受けない事が大切です。
頸椎の牽引、ホットパック、低周波治療、SSP、マッサージ等があります。
病態により牽引がよかったり、マッサージがよかったり、低周波がよかったりします。
人によってそれぞれの治療法を考えていかなければなりません。
又、リハビリだけではなかなか改善しない事が多く、自宅で運動とか、機能訓練をなさると効果があります。

直子の車椅子奮記

「でもやっぱり歩きたい」滝野澤直子さんの著書です。
ナースだった彼女は4階の窓から転落、頸髄損傷で歩けなくなりました。
その彼女の本を読みながら、彼女の勇気や悲しみが心にまっすぐに響くようでした。ともすれば暗くみじめな話題になりがちな事故後の心境や、つらいリハビリの訓練を彼女なりのユーモアで軽くかわし、今も希望にあふれる毎日を送っているその強さが私は大好きです。
抜粋してご紹介したいと思います。

麻痺している体は重い
私の麻痺のレベルはC6に固定した。これは頸髄六番の神経の支配領域までは筋肉の運動もできるし、皮膚の感覚もあるのだそうだ。胸から下は麻痺しているし、腕を伸ばす筋肉も働いていない。指も動かない。
動かない体は重い。車椅子に座って、動かない足を腕で持ち上げようとして愕然とした。重い。腕がどんなに頑張っても、足はチンと澄まして微動だにしなかった。腕の力が極端に弱かったせいでもあるが、健常者の人に持ち上げてもらっても、やはり重いとみんな言う。簡単に持ち上げられるようになるまでには何年もかかってしまった。
足が重い、お尻が重い。背中もおなかも重い。肩より上でこの重さを動かせて、初めて寝返りができる。しかしこの細腕では重いお尻は動かない。
ケイソン(頸髄損傷)のリハビリには、一つ一つの動作それぞれに、他の疾患のリハビリとは異なるコツがある。当たり前のやり方をしたらできない動作でも、コツを熟知している先生に教えてもらうと、ケイソンはケイソンなりのやり方でできるようになる。だからケイソンのリハビリに関して熱心な病院でリハビリを受けることがとても重要だ。
寝返りをするときのコツは弾みだ。弾みをつけて思いっきり腕を振り、同時に頭と首も振る。勢いにまかせて右にビュン、左にビュン、それ本番だ、右にビュン、するとお尻と足がググググ・・・ついついつられてついてくるんだ。
これができるようになるまで、訓練室のマットの上で何千回ビュンビュンやって練習したことか。成功すればごく自然な寝返りに見えるが、できないうちは力のない腕がふにょふにょ動くだけ。右にふにょ、左にふにょ。
「えいっ」
ふにょ、ペタン。お尻どころか肩さえ上がらない。ふくれっつらして、右ふにょ、左ふにょをやっていると、車椅子の陽気なおじちゃんが寄って来て、「直ちゃん、盆踊りうまくなったなぁ」と言って笑う。勇気ある笑顔 一週間悪戦苦闘してTシャツは着られるようになった。やっぱり頑張ればできるんだと、天にも昇る気持ちだった。よく頑張ったな。ずっとそう思って満足していた。
でも、私の周りには、どんなに頑張ってもTシャツが着られなかった患者さんもいた。
けっして私の方が努力したんじゃない。同じように努力してもできる人とできない人がいるんだ。私ができたのは努力したからではなく、運がよかっただけなんだ。努力しさえすればできる機能が私に残っていたからにすぎない。
もしも、もしもあのとき、どうしてもTシャツが着られなかったら、一体どうしてしたんだろう。
リハビリをしても結局着られなかった人たちは、いつもにこにこして看護婦さんにTシャツを着せてもらっていたけれど、彼らだって私と同じように「着られなかったらどうしよう」と焦り、苦しんだはずだ。そして自分が「着られない」とわかったときには、どれだけの失望を感じたのか。
彼らが「看護婦さん、着せて」と頼むときに見せる笑顔は、抱え切れないほどの大きな失望をたった一人で消化してはじめて生まれた笑顔なのだ。自分が「できないということ」を受容するってなんて勇気がいることなんだろう。自分でできるのなら頼まなくたってすむのに、悔しい思いも、切ない思いも、笑顔のかげにはあるだろうに。今頃になってそんなことに気づくなんて、私は看護の何を学んできたんだろう。 看護婦だったときの私は、知らずにたくさんの患者さんを傷つけてしまっていたのだろうと思う。

赤い戦車
私の車椅子は赤い。「赤くて小さくて、おもちゃの椅子みたい。かわいいね」とよく言われたけど、障害者になりたての私にとっては、この車椅子は「赤い戦車」だった。
────────中略─────────
私は闘いたかった。 入院していたときは、望むと望まないとにかかわらず、毎日が闘いだった。食事も着替えも必死だった。
自己導尿を始めてからは尿失禁との闘い。そして褥瘡との闘い。車椅子をこいで自分で前に進むことは、社会に近づくことだった。病院という隔離された場所にいて、胸がよじれるほど憧れていた、あふれんばかりの人がいる外の世界。
日曜日の病院に華やいだ街の香りをただよわせながら訪ねてきて、夕方には帰っていくお見舞いの人たち。私も社会に出たい、みんなの中で生きたい、と痛切に思った。けれど私の周りには目に見えない壁があった。体を思うように動かせないことで、以前のように自由に行動できなくなったということ以上に、劣等感や羞恥心、いらだちが私の足をいつも引っ張っていた。私が闘いたかったのは、私の周りを取り囲んでいた、この壁。車椅子という戦車でこの壁を打ち崩して外に出ていきたかった。