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コスモス新聞

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コスモス新聞第36号

靴で悲鳴をあげないために!! 靴の歴史

履物の起源は古代シュメール文化までさかのぼることができます。
でも実際の履物の使用については、ほとんどわかっていないのが現状です。
シューネンウェルト・バリー靴博物館に、白い陶器の靴の祭器の模型で、紀元前3000年頃のものと思われる珍しい資料が保管されています。
実際にはこれを履いたのではなく、これを検討することによってシュメール人が温かで快適な靴を使用していたことが推測されます。

紀元前2000年頃、ヒッタイタの祭礼の時に使った小さなブーツの形をした容器もあります。これは五穀豊饒を願う古代人が大地の神々に捧げたものだろうと思われます。つま先が反り返った靴で、障害物に突き当たるのを防ぎ、泥の中で足がとられないようにと考案されたようです。
北極圏に位置するラップランド地域に住むサーメ人が現在も同型の靴を履いて生活しています。
タニス出土品の黄金のサンダルはエジプト末期王朝、第22王朝時代の履物で、支配する王の権力を象徴するものであったらしいといわれています。
16世紀のゾコリという作品は舞台女優の背を高く見せるために愛好されました。現在はミラノ市立美術館に保管されています。
背を高くみせるハイヒールはおそらく15~16世紀から見られるようになったと思われます。
貿易で巨万の富を築いたベネチア共和国の男たちは長い間、航海に出るため、自分の妻たちを家庭内に留め置くためにハイヒールを履かせ、女性を褒めたたえながら支配下においたそうです。

ルイ王朝時代、ベルサイユ宮殿の女官が、夜な夜なボーイハントに外出するのを幽閉する目的で、ハイヒールを履かせたという記述もあります。
アッシリアのニネヴェ宮殿の壁画にブーツ形式の靴の原型がみられます。
足から下腿にかけて布状の紐を巻き付けたもので、第2次世界大戦の日本軍のゲートルと同じような機能により長時間の歩行を容易にする工夫がされています。
ハイヒールという靴は男性支配による政治経済機構が存在し、男性の独占欲、権勢欲から女性を隷属しようとした封建的思想であったように思います。

その最たる物は中国の「纏足」という奇習です。
明朝から新明にかけて確かな記録がありますが、他国にはまったく伝承されなかった「纏足」は悲しい現実を女性に強いるものでした。
3、4歳の小児期から足を堅い包帯で緊縛し、その成長を止め、母趾のみで起立、歩行させ、第2趾より第5趾までの趾を靴底に強引にへし曲げて固定する、残酷極まりない悲惨な施術で、人間の足を10cm位の大きさに固定した非人道的悪習でした。
小さければ小さい程称賛された「纏足」の靴は、その痛みに泣いた女性の涙を隠すかのように、ハイヒール状で見事な彩色と精密な刺繍が施されていたそうです。
纏足により長時間の歩行や走ることもままならなくなった女性は、逃げることもかなわず、まさにカゴの鳥でした。

日本における履物といえば草鞋、草履、下駄です。
昔、主君信長の命により出陣をする秀吉の元に、部下が思い思いの服装で馳せ参じてきました。鎧兜の者や、米を背負ってきたり、愛馬などを連れて。
この時、一人の若者が20数足の草鞋を腰に秀吉の前に馳せ参じました。
秀吉は彼を招き、「これからの戦いはこれだ。機動力が第一である。機動力なくして戦に勝てぬ。」と言ったそうです。
この若き青年は後の石田光成でした。
主君信長の急変を知った秀吉は急遽、毛利と和睦をし、大津から京までの200km以上の距離を3日間で走破しました。この機動力がなければ日本平定は達成されなかったでしょう。歩くことの重要さを知っていた秀吉の慧眼に感心させられます。
日本人が靴を履くようになってから、まだ100年ほどにしかなりません。
機能的な靴の開発より、ファッション性を重視してきたため、男性に比して女性の足の障害は著しく増加しています。
にもかかわらず女性がハイヒールを手放さないのは何故なのでしょう。

その謎を解明する前に簡単に足の構造を説明したいと思います。
足の構造
足の構造は大きく分けて3つの部分から成り立っています。
前足部、中足部、後足部で各部分の構造と機能的な相違について、簡単に説明をしたいと思います。
前足部:外に出た分岐した5本の骨の趾の部分のことです。この趾の骨は最も運動性に富み、物を掴む動作に適し、手の指に相当するものです。人は歩行する時、この前足部で地面を掴むような動作を行い、身体を前進させます。
中足部:中間にある中足骨は第1なあ骨から第5中足骨まで、5本の足の趾に相当する細長い骨より形成されています。ある程度の伸縮性を持ち、各中足骨は骨頭部にて靭帯により結合され、体重がかかるとアーチを多少減少させる弾力的な骨です。
後足部:足根骨から形成され、この足根骨は踵骨、距骨、舟状骨、第1、第2、第3楔状骨、立方骨と7つの骨で成り立っています。非常に強い靭帯でがっちりと形成され、人間が直立した場合の安定感と制御をつかさどる重要な部分です。
歩行に際しては、足根骨で地面の圧力を感知し、足の外側部より中足骨骨頭部から内側に移行、第5中足骨骨頭部より第1中足骨骨頭部に移り、ここで初めて足を蹴ることにより歩行できるのです。
ですから靴を考える時には、以上のような構造の足の解剖学的条件を考えて作製することが必要になります。
前足部にはつま先で物を掴むような柔軟性、中足部には伸縮性としなやかさ、そして後部には安定感と制御の作用がなければなりません。

女性とハイヒール

ハイヒールはヒールの高さを上げることによって、実際には決して小さくはならなのですが、目の錯覚により靴型の長さが縮小して見えるようになります。
また踵を上げることにより、足が長く見え、背を高く見せます。足は膝から下が長いほど、美しくみえます。
ハイヒールはまさに女性を美しくみせる小道具なのです。
どんなにつま先が悲鳴をあげても、細く長い足への誘惑は絶大なのでしょう。
ハイヒールを履くことによって起こる両足、下肢、骨盤、さらには脊椎の変化は予想以上に複雑です。これらの因子が腰痛を引き起こすことは十分考えられます。
近頃、よく聞かれるようになった「外反母趾」の疼痛は頭の芯まで達すると言われます。それでも、女性はハイヒールを捨て去る事ができないでいます。美へのあくなき追求に、ただ頭が下がる思いです。
では、女性がいかにして健康を保ちつつ、ハイヒールと付き合っていくにはどうすればいいでしょうか。
この問題の解決にはハイヒールを履いている時間を短くすること以外にありません。欧米では通勤には運動靴、社内ではハイヒールというように履き替えているようです。犯罪の多い都市では、逃げるのに運動靴の方が走りやすいという利点もあげられています。

良い靴とは

靴を履いていることをまったく意識しないような靴が最高の靴と言えます。
裸足でいるときのような状態を感じさせる靴が、その人にぴったりの靴です。良い靴を選ぶためには
・靴の底と甲の部分がしっかりあっているかを見る。
・靴の内側の底が直接、足底にぴったり合っているか。中底がきれいに仕上がっているか。でこぼこやしわがあるものは避けましょう。
・土踏まずの部分が自分の足に合っているか、確かめましょう。
・靴の先端部を押して、適度の弾力があるか。
・踵の部分が床面に対して垂直であるかどうか。
・中足趾節関節の付け根のあたりが曲がり、ここで蹴って歩くので、この部分の靴の曲がりが自分の足と一致するものを選ぶこと。そして曲がっても反発力の強いものを選びましょう。
その他に耐寒性、吸収性、保温性、衝撃吸収などもチェツクすると良いでしょう。

10年程前にアメリカに行った時、靴を買いに行った妻が感心して帰ってきました。「アメリカの靴屋の店員って、女王に仕えるナイトのようよ。」
片膝を立てて座った店員が靴まで履かせてくれたそうです。そして、「歩いてみて下さい」とか、「履き心地はいかが」と聞くのだそうです。
「ここがこう」と言うと、次々と彼女に合いそうな靴を持ってきて、納得のいくまでゆっくりと相手をしてくれたそうです。欧米の靴の歴史は長く、早くから外反母趾などの研究が進み、靴に対する心構えも違うのでしょうか。
さて、次に大切なのは試し履きです。この時、ただ単に歩くのではなく、色々ポーズをとって試してみるべきです。
つま先立ちや座ってみたりして、自分とのフイット感をみて下さい。
靴の中で足の趾が十分に動き、物を掴むことができるような感じのする靴が良い靴とされています。
ことに母趾の先が靴に強く当たっていないかどうかを確かめて下さい。強く圧迫するような靴は絶対避けるべきです。
靴につま先を目一杯押し込んで、踵の位置で靴と足の間に鉛筆が一本楽に入る位余裕のある物が望ましいです。
最近、藤の木古墳より出土した装飾性豊かな靴は、多数の金属の鈴状の飾りがついて、歩く度に、快い音を発っしたと思われます。その時代の貴族社会の優雅な生活状況を垣間見たようです。徳川慶喜もブーツを履いている姿が残されています。坂本龍馬も紋付袴に靴を履いて写真に写っています。
明治維新の文明開化は靴からなんて、おもしろいと思いませんか。 足を靴に合わせる時代は終わり、足に合わせた靴を履いて町を闊歩してみませんか。良い運動になると思いますよ。

石塚忠雄先生著書「新しい靴と足の医学」を参考にしました。