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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第31号

一年後・・・想い

午前5時20分、リリーン、リリーン電話のベルが鳴った。
1996年 1月17日 午前5時30分
私の妻は二本のロウソクに火をともした。一年前の事を思い出すために・
1995年 1月17日 午前5時46分
未曾有の地震が大地を揺らした。何が起こったのか、どうなったか、何も分からないまま、家族の名前を呼びながら家の中を歩いた。
でも声は聞こえない・・・・
家具が散乱している家は、あるべき場所にあるべき物はなく、懐中電灯やライターを手探りで探した。
やがて、クリスマスに飾った赤と緑の二本のロウソクが、心細く家族を照らし、揺れ続ける余震におびえる子供達を励ましながら、ひたすら夜が明けるのを待った。
やがて夜が明け、この世のものとは思えない風景が・・・・・・・
今、ずっと棚の上にその時のままに置いておいたロウソクに火をともした。
一年ぶりの明かりが、同じように子供達を照らした。
あのとき、何を感じ、何を考えていたのか。
「忘れられない事は新聞に載っていた(ばあちゃん、かんにんな。)っていう記事。」と私の妻が話しだした。
長田区の火災で瓦礫に埋まっているおじいさんが助け出され、続いておばあさんを助けだそうとしていたが、火の手がせまり助け出す事ができなかった。
「ばあちゃん、かんにんな!!」という言葉にこもる万感の思いが、私の心をとらえて離さない。
小さなロウソクの光の中で長女が涙をポロポロ流している。
私たちは運よく、その日のうちに神戸を脱出し高松に帰り、3週間後にまた神戸に戻りました。水道もガスもまだ止まっていました。
春になり六甲アイランドにもたくさんの仮設住宅が建設され、約二千人の人が移り住んできました。
その春、あちらに一人、こちらに一人と老人が黙って座っていました。
話しかけようとしても、目に見えない厚い壁を張り、すべてのものを拒んでいました。私はなすすべもなく、毎朝、よかった、今日も元気でと思っていました。
でも夏までの間に何人ものお年寄りの方が亡くなりました。
行く末の不安は生きる希望さえ失わせてしまったのでしょうか。
理不尽な天災は6308人の命を奪い、今も傷痕は深く心に残っています。
そして奪われた命は二度と戻ることはないのです。
京都大学の河上倫逸教授は「今回のような災害が一地方のこうむった厄災だというだけではなく、また個々人の耐えねばならぬ不幸だというだけでもなく、日本国家の直面した国家的試練なのだという最低限の認識」さえ、ない政治・行政の「阪神の復興に対する国家的政策の決断ができない姿勢」を厳しく批判している。
ゆらゆらと揺れるロウソクのあかりを見つめながら、子供達と長い間話し合った。
命の貴さ、生きるという事、そして希望について。
あの時、この小さなあかりが私たちを照らしてくれた。
それは小さなあかりだったけど、生涯、心に残る希望の光でもあった。

人間工学

人間はミクロコスモスで、壮大な宇宙にも匹敵する壮大な有機体システムでもある。ふだん何げなく手を動かし、歩き、食べたり、話したりできるのは、脳からの指令を受けて各器官がスムーズに動くことによってできます。
この各器官がスムーズにという事が問題点なのです。
もしどこがが反乱を起こし、指令を無視したらどうなるのでしょう。
手を動かせない、足が進まない、口が動かない。こうなったら大変ですが、よほどの事がない限りほとんどの器官は、脳からの指令に絶対服従します。
もしその器官が損なわれてしまったら、不慮の事故で無くしてしまったら、どうすればいいのでしょう。
今までは、どうしようもない事でした。手や足は再び生えてきませんから。
でも現代の技術は人間の器官を機械で置換することを可能にしました。
動物の中で手が使えるのは人間だけです。猿も親指を除く4指と掌によって物をつかむことしかできません。
人間は物をつかんだり、持ったり、はじいたりと多種多様に手を扱います。
今までの産業用ロボットは力の使い方がわからず、コップを持たせると強く握りすぎて割ってしまいました。
今、この力の配分を遠心制脚と求心制脚によって情報反射(フィードバック)ループを形作っている固有反射に情報伝達させようとしています。
大脳などの指令によって随意運動を行う時、視覚などのフィードバックによって制御がされます。
ぬり絵などはこのフィードバック動作の一例です。
これに小脳が関与すると新小脳内にモデルが形成され、このモデルを刻々修正しつつ最適動作を行うという一種の適性制御系が構成されます。
各種のスポーツは訓練によるモデル形成を利用するフィードフォワード動作によって行われています。 人間が巧みに行う動作は、このフィードフォワード制御を加えることによって実現されているともいえます。
字を書く日常動作は中間型動作です。
ロボットの手と義手とでは設計条件が次の4点で大きく異なります。
外観をもとの手に似せ、装飾性をもたせる。
大きさはもとの手と同じ。
軽量でなければならない。(人間の前腕は約1kg)
制御するのはコンピューターでなく人間の頭脳である。
この条件は一見簡単なようで、実は大変な制約条件です。
現在の技術では人間の手のようにすぐれた構造と機能をもつものは出来ません。
そこで出来るだけそれに似たものが、現在市販されています。
ワセダハンド4P(早稲田大学工学部が開発)をもとにフィードテストを経たもので、筋電制御前腕義手WIMEハンドといいます。
母指対向性をもたせてあり、3指によるつまみ動作、および5指による握り動作でかなりの作業をすることができます。
手首の動作で回内外(手首の回転)機能が動作の自然な形を得る上で大切です。
この観点から指開閉、掌背屈、手首回内外の自由度をいくぶんか組み込んであります。義手の制御法は各種あります。
「手足のように人を使う」という言葉があるように、われわれの手足は意志に応じて自在に動きます。
α繊維と筋との接合部には中枢からの指令がインパルス頻度として伝えられるが、このインパルスが到達するとアセチルコリンが分泌されます。こうしてデジタル信号がアナログ信号に変換され、このアセチルコリンは接合部の筋線維側にある終板に作用し、終板電位を発生し、興奮収縮連関により筋を収縮させます。
筋線維が興奮する際に発生する活動電位を筋電位といいます。
この筋電位は筋の収縮連関情報です。
そこで義手の制御信号としてこの筋電位を利用することが考えられ、これを応用したのが筋電制御義手といいます。
その他に表面電極を用いる方法もあります。
身体モデルはかなりの程度継続発生的に先定されていますから、神経筋群との間に解剖学的従属関係があります。
したがって失った肢をそれまで制御していたと同じ方法で義肢を制御できることが望ましいのです。
それが難しい場合には義肢の身体モデルが新たに形成されやすいような制御方式を開発することが、使用者である切断者の負担を軽減することになります。
このような観点から、筋電制御方式は理にかなっているといえます。
その他、多機能義手では多くの信号を必要とするため、6チャンネルの筋電を導出し、携帯用マイクロコンピューターによりパターンを識別させて制御信号を構成して義手を制御させています。
先に述べたWIMEハンドには、オプションとして皮膚の触、圧覚に相当するフィードバック装置が準備されています。
これは圧力センサーを義手内部に配置しておき、指が物にふれるとそれを検出し、電気パルス信号に変換し、表面電極により残存断端部などから皮膚を介し、電気刺激として中枢へフィードバックするものです。
我々は卵をそっと割らずにつかむことができます。
これは皮膚感覚情報をフィードバックさせつつ学習した結果であり、学習後はフィードフォワード制御でも視覚フィードバックがあるから、割らずにつかむことができるようになるのです。
義手の感覚フィードバックも同じように役に立ちます。しかもそのほかにも、より大切な意味があるのです。
それは使用者である切断者が義手との一体感を獲得するのに、非常に役だっているということです。
日常動作に我々は皮膚感覚をそれほど利用していません。でも情報は絶えずフィードバックされています。
義手の場合も同じで、機械である義手から絶えず情報が送り返されていることにより、一体感が強まるのです。その結果、義手の重量も実際ほど重く感じなくなります。
今回は専門的になってしまい、誠に申し訳ありません。
医学は想像以上に進んでいます。
事故などで手や足を失った人に元のような笑顔が取り戻せるように清潔好きの人類 近ごろの人は非常に清潔好きのようだ。いや潔癖といったほうがいいのか。
携帯用のビデが発売されてから爆発的な人気をよんでいるのが、そのいい例だ。
昔、ウォシュレットのコマーシャルをつくる時に、非常な苦慮がなされたと聞いている。あれから何年たったのだろうか。
その数年のうちにトイレの後に洗浄するのが当たり前の時代になり、会社や旅行に自分専用のビデを持ち歩く時代になった。
匂いの消える薬も発売されている。これは大便の匂いまでもなくしてしまうそうだ。日本人は体臭の少ない体質の人が多い。それでもこの薬が売れるのは口臭とか、汗などの匂いに敏感になりすぎているからなのだろうか。
かくゆう妻もおにぎりをサランラップで握っている。
衛生的でしょ、と言っていましたが、素手でにぎったおにぎりは食べられないようだ。不潔とかいう問題ではなく、精神的な問題のようだ。
これはなんだろうと私は思う。
子供の頃、母の握ったおにぎりをお弁当に、遠足に言ってほおばるように食べたのに。サンドイッチは大丈夫、おすしやさんも大丈夫、コンビニで売っているおにぎりも大丈夫。なぜなら、機械で作っているかららしい。
もっとも、おにぎり論争以外の事はいたってむとんちゃくである。病的にすみずみまで磨き上げるかというと、そうではない。
抗菌グッズはボールペンにも及ぶ。
題名も忘れたほど昔に、こんな本を読んだ覚えがある。
文明が発展し、機械化が進み、人々は自分の家から出る事なく仕事もできるようになった時代。他人と接する事もなく、すべてが機械を通して行われています。
人工授精や人口保育器のおかげで出産という女の役割もなくなり、家族という単位も必然的に消滅、人との会話もテレビ電話を通して行い、勉強もコンピューターが相手です。
そんな時代に一人の若者があこがれの女性(テレビの映像)にたまらなく現実に逢いたいと願いました。
多額のお金が裏取引で行われ、その女性が現実に彼の部屋にあらわれたのです。
彼は狂喜して喜んだでしょうか。いいえ、映像を通しての彼女と現実の彼女とのギャップに圧倒され、嫌悪してしまったのです。
その香り、その髪の揺れる様、その口から出るかすかな匂い、彼の想像と違う彼女に彼は幻滅したのでした。
生まれてからすぐに無機質の物体に囲まれ、一度も本当に人と接した事のなかった彼に生身の人間はあまりにみにくかったのでした。
では彼は生まれながらにしての片輪でしょうか。いいえ、小説では誰もがそういう人間になってしまったと書いてありました。
ちょうど思春期に差しかかっていた私には、遠い世界の物語りと考えましたが、今の状態からいつかはこんな日がくるのも夢ではないのではないかと思います。
草原に寝転んだり、泥んこ遊びに熱中したり、動物を抱きしめたり、自然の中に溶け込んだりして、自分が一つの種としての動物である事を知ってほしいものです。