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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第276号

平成戦国なのかな?

あと何年後かには
国民の25%が65歳以上になる。
そんな日本に薔薇色の未来があるのだろうか。
その時に刻々と近づきつつある、今。
総理大臣が熱っぽく語っている行政改革、税制改革、財政改革、何もかもが嘘っぽく響く。
考えなくてはいけない議題が山積みなのに、ネットに載ったあるママさんの怒りのメールで議会が大揺れ。こんな脆弱な議会も代議士もいらない。
もっともっと国民の事を考えるリーダーを選ぼうよ。
怒れるママさん、ごもっともです。
保育所だけでなく、社会が見過ごしている現実を語ろうよ。
この国は女性にやさしい社会だろうか。
仕事をし、帰宅してもなお、炊事、掃除、洗濯。
疲れ果てても、小さな子供にそんな愚痴は通じない。
だから、女たちは踏ん張って、わが息子を教育したんだ。
次世代の女性のために優しい男子を、そう、草食系男子の誕生だ。
男女同権なんて絵に描いた餅。まさにその通り。
それゆえ、今も戦っている。


何故なら、怖い、こわーい時代が来るんだ。
あなたの時代は国民が餓える時代だ。
何より大事な「心」が餓えるのだ。
その空っぽの心を癒せる国家を作らなくては。
高齢化、少子化、これらの本当の意味は?
過疎化、荒れる田畑。
生産は少なくなり、企業は生き残りをかけて社員を見捨てるかも
高齢者の医療費や生活保護者の増大、年金支給額の減少、増税負担。
これらが働く世代にのしかかる。
だから強くて優しい「白馬の騎士」を育てなくっちゃ

総合企画部 吉峰 由美子


介護科こぼれ話

油蝉の絶叫が聞こえる。
昔は風流にせみ時雨なんて言ったけど、あれは涼やかな自然の中でのこと。
街中のビルが立ち並ぶこの界隈では暑さが増すだけのような気がする。
屋上の照り返しがひどくなる前に植木の水遣りをしなくちゃ、3階の新しい患者さん、確か飲水量の報告ありで4階の患者さんは5階に転室、あれっ、3階の誰がレ線の予定で院長回診は何時だったっけ??
その前にシーツ交換が全室だからその支度と患者さんをナースステーションに連れて行かないと。
頭の中のメモはすでに容量一杯になりそう!

介護科はすることが山ほど。それに一般的にはあまり上位のランクに入らない3Kの仕事だ。つまり、きつい、汚い、危険と定義されている。
近頃は給料安い、休暇が少ない、かっこ悪いなどともいわれている。
ほんと、きつかぁ。
気力、体力、に加えてフットワークの軽さも大事。
だから仲間意識も強く、誰かが腰痛になるとカバーし1人も脱落しないよう気を配る。なんて言うとカッコいいがお互い様なのだ。
えっと???
あっ、お昼過ぎから3階のおじいちゃんの特浴があった!
あのおじいちゃんのお風呂嫌いは半端なく、痣がつくほどしがみ付くので本当に大変。ゆっくりお風呂に浸かるなんてとんでもない。
「助けてくれー」とか「こわい、こわい」とか「出してくれっ、何でこんなひどいことを!!」と叫ぶ。
特浴介護している私たちはすっかり悪者と成り果て、きれいになった彼を迎えに来る看護師さんを天使と思っている。
不公平だ。

普段の彼は温厚でやさしい人だった。
若い頃、南方に派兵、敵に撃たれて足が不自由になり終戦間際、日本に帰された。
真面目な勤め人で結婚し子供にも恵まれた。
傷病年金もあり老後の心配もなかった。
気をつけてもどうなるものでもない。80代を迎えて孫もいる。
もう、いい人生だったじゃないかと老妻と二人で仲良く暮らしていた。
そんな矢先に脳梗塞を起こして救急車で運ばれ、運よく生還した。
術後のリハビリ目的で転院してきた彼。
車椅子を拒否して、病室までそのひょろりとした体でゆっくり歩いていった。
世話好きなのに世話をやかれるのが苦手なのだ。
だが、脳梗塞の後遺症は思いのほか長くかかり、強張った筋肉を動かす痛みに耐えるのに四苦八苦、それでも冗談を飛ばしたりしていたが思うように進まないリハビリに苛立ちを隠せなくなり、温厚だった彼が口汚く奥さんをののしる様は周囲を困惑させた。
給湯室で奥さんが「本当に優しい人だったのに。あんな事、言う人ではなかったのに。」と涙ぐんでいた。
やがて誰彼かまわず怒鳴りつけるようになり、ナースステーションに奥さんが何度も謝りに来るようになった頃、彼はいつも青春時代に戻っていた。
「はい、以後気をつけます!」敬礼するように腕を挙げ、
「自分は陸軍第・・小隊におります」
「構え!筒!」などと元気に叫んでいた。
夢と現の間を漂いながら青春真っ盛りの彼。
時折浮かべる表情からも決して楽しい時代ではなかったはずなのに、その思い出は走馬灯のように何度も繰り返される。
そして特浴での騒ぎとなる。
彼の頑固すぎる高いプライドに振り回される私たちって何?

お盆が過ぎたある朝、大きな声が廊下まで聞こえた。
「誰か、誰か来てくれー」
「はーい」呼ばれて室内に入っていくとベッドから落ちそうになっている彼。
よく声が上げられたとびっくりしながらも、体を起こしてあげると「あー、もうどうなるかと」と笑いながら彼が言った。
あっ、いつもの・・・さんが戻ってきた!!よかった、もう戦争は終わったの?
「介護士さんたちは大変だね。」と、私たちに声をかけた。
「ベッドから降りようとしたのですか?そういう時は一声掛けてくださいね。」
足が弱っている彼は起き上がることも不自由なはず。腕の力もコップを持つだけで震えるようになっているのに。
「いや、夢が・・・」喘ぎながらも喋りたそうだったので、黙って先を促す。

昭和18年、真っ青な海と空、真っ白な砂浜とぽっかり浮かぶ真綿のような雲。
初めて見た南国の島は故郷の海とは違い、明るく美しかった。
だが戦況は次第に悪化の一途を辿り、ついには補給船も途絶え始めた頃、彼は負傷し日本に帰された。当初は運が良かったと喜びました。
でも空襲の無い空の下で、気がついたのです。
島に残された戦友は誰も帰ってこなかったと。
平和になればなる程つらかったです。
この胸に住み着いた「自分だけが」という気持ち!それを、この心が許さない。
だから、がむしゃらに働きました。そうでないと心が折れてしまいそうで。
ゆったりと風呂に浸かるなんて言語道断。美味い物も禁止。
妻とは旅行に行ったこともありません。
あの蒸し暑いジャングルで死んでいった友に顔向けできないから。
このまま、静かに逝かせてください。いいえ、自殺なんて考えていません。
生きる事が彼らへの「はなむけ」と思ってますから。

お風呂が気持ちいいという先入観で彼に接していた私たち、彼は理解して欲しくて、つらい思い出を話してくれた。
私たちの進言で特浴は清拭に変わり、やがて退院の日を迎えた。
彼が手を振っている。
弱々しい手振りではあるが、初めて手を振ってくれた。
私たちの職業は沢山の人と出会い、彼らの人生のひとときに出演する。
私たちの登場は少しは役に立ったのだろうか?
私たちは彼の目には天使に見えているだろうか?
私たちが出来ることは何なのだろう?

これらの疑問に答えはない
たとえ3Kと言われようとこの仕事に誇りを持てば、患者さんは応えてくれる。
誰かに何かをしてあげる幸せ。
この小さな幸せがあるから、今日もがんばる。

総合企画部 吉峰由美子