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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第25号

美しい十代(スーパーティーンたち)

最近、感慨深い本を読みました。
「10人のスーパーティーンたち」という本です。著者は千葉県立園芸高校の教師でもある高橋清行氏で、彼は著書の中でこう言っています。
『いじめの社会問題化をみるまでもなく、学校とはなにか、教育とはなにかということが大きく揺らいでいる。「先生は教える人、生徒は教わる人」という関係そのものが問われているといってもよい。もっと言えば、その根源において、私たちは人間とはなにかという問いをストレートに突きつけられている。父とはなんであり、母とはなんであり、子どもとはなんであり、そして生徒とは、先生とはなんであり、そういういっさいの概念が規範的な意味を失っている。いじめの問題ひとつ取りあげても、いままでの社会規範を前提に教員を批判したり、親を批判してもなにも見えてこない。明治以来の社会規範が徹底的に崩れて、新たな関係をすべてにおいて、みずから創っていかなければならないという時代にたち至っているということである。』
『親とは、子供とは、家族とは、そして生徒とは、先生とは、学ぶとは、学校とは、なにかを、一般的な規範に頼らずに自分の力でそれらのイメージをつくっていかなければならなくなった。 そうしなければ、いろんな生徒とつきあうことはできなかった。できあいの人間観や家族観、教育観、学校観などでなにかを語ることは目のまえにいる生徒を否定するだけで、とても生徒の現実に届くことはなかった。
人間とはこうあらねばならないと思っていると、そんな範疇から生徒はぼろぼろと飛びだしていった。その飛びだしていく生徒を追いかけ、生徒とか、学校とか、学ぶとか、教育とか、そういう観念を一生懸命練りなおした。
それはつねに「おまえはいったい何ものなんだ」と生徒に問われていることにストレートに答えていくことであった。
-中略-
残された道は徹底して"対等に生きる"ということを実践することであった。
相手を否定せずに認めながら怒ることであった。その生徒にとってどう生きていくことがよいのかをともに考え、ともに生きていくことであった。
それはお互いの違いを違いとして尊重することであった。
そのことに気がつくのに5年くらいかかった。
そのとき、"いろんな人間がいる"というあたりまえの現実に出会うことができたのだ。しかも自分もそのいろんな人間の一人であることを知って、ほっとした。
自分で自分をあるがままに受け止められるようになってきたということでもあった。そのことを知るだけで、こうしなければならないということなどはそれほどでもないものだ、なるようになるものだ、ということがよくわかった。
ただ知識を伝達する教員であり、ただ社会規範を教える教員であったとしたら、あるいは一定の価値観からのみ生徒を見ていたら、いまを生きる生徒たちの現実に出会うことはなかっただろう。
1980年代以降の現代という時代の現実に真向かいに対峙して生きることもなかっただろう。生徒と徹底してともに生きることで獲得したものは大きい。』
ながながと書いてしまいましたが、こういう考え方で生徒に接している先生方はどれほどいらっしゃるのでしょうか。
私は彼の学校の生徒がうらやましくなりました。
いつも書いていますが「目の高さを同じにして」という事と同じなのです。
それが先生と生徒、医者と患者、上司と部下、なんにでもあてはまる事だと思います。先生は教える人だから偉いと一段高い所から生徒を見下ろしていては、現実から遠ざかるばかりなのではないでしょうか。
この生徒は"だめだ"というレッテルをはって排除する事はとても簡単な事です。
現実から目をそらし、その規範の中の生徒のみを教育することが本来の教師の姿なのでしょうか。
阪神大震災の後、新しい駅ができあがりました。
福祉という名のもとに障害者にやさしい駅ができたでしょうか? 
答えはノーです。
新しい駅に障害者の人達は期待をよせていました。
誰の手も借りずに一人で電車に乗ることが出来るという事の意味を、大切さを、簡便さを考えていただきたかったものです。
確かに早く駅の復興をと急ぐ気持ちもわかります。健常者に比べて障害者の数は少数です。そしてむずかしいケースの生徒の数も一部です。
それでも忘れられていいはずはありません。
生徒のありのままの姿を理解し、ともに生きようと努力する高橋先生のような方が多くなれば"落ちこぼれ"や"登校拒否児"などの問題解決への道も素直にみつかるのではないでしょうか。
また、引用ですがイギリスの作家、ディック・フランシスも著書「配当」のなかで『教育というのは、現実に知識を与えることに劣らず、心像を植えつけることが大事だ、という気がすることがしばしばある。試験にさいして生徒が正しい答えを書くのは、冗談にくるんで教えた事実である。』と書いています。この文章からも詰め込んで教えても、生徒は覚えてくれず、リラックスした中でどのように生徒の興味を向けさせるかが教師としての問題であるかがわかります。
家庭においては両親が、兄や姉は弟や妹に、上級生は下級生に、年長者が年少者に、会社においては上司が部下にというように誰もが教師であり、生徒であると思います。誰かに何かを教えながら、誰かに何かを教えられて、少しずつでも一人の人間として成長していきたいものです。
いつのテレビの番組だったか思い出せませんが、人間が本当に円熟するのは80才からだそうです。すべての欲から解放されるわけではないでしょうが、それだけの期間を人と接しながら学んでいくのかと、妙に感心した覚えがあります。
50、60才なんて小童なのだそうです。何かおかしくって安心した私は、当然未熟者なのでしょう。
上記の本は高松市図書館で貸し出ししています。
余談ですが「今を生きる」と言う映画があります。
戦前のイギリスの全寮制の学校での話です。長い伝統と進学率を誇る学校に一人の教師が転任してきます。彼は伝統を重んじるあまりに厳しい規律にしばられ、個性すら出せずにもがいている生徒に、生きるという意味や喜びを教えようとしました。
この授業にはこの本と決められた学校の方針に本のページを破り、心の通う本当の教育をしようとしました。なぜなら彼もこの学校の出身だったから、彼らの気持ちや叫びが痛いほどわかったからです。
学校への批判なんて思ったこともなかった彼らが、その教師がいわれなき罪で学校を去る時に授業中にもかかわらず、机の上に乗って無言の抵抗をしたのです。
一人が二人、二人が四人と増え、クラスのほとんどの生徒が机に乗りました。
たとえ彼が学校を去っていっても、彼の精神が生徒の心の中にしっかりと根づいていることが何よりのはなむけでした。

胃、十二指腸潰瘍を防ぐには

胃や十二指腸潰瘍の壁に傷ができ、やがて穴が掘られた状態を潰瘍といいます。
潰瘍といっても大きいものから小さいもの、深いもの、浅くて短期間で治癒するものと様々です。
それぞれにあった治療法が選択されなければなりません。
胃は食物を消化するために塩酸とペプシンを分泌しています。この塩酸は舌にふれるとただれる位、強い酸でPHが1、2位といわれています。
では、どうしてこのような強い酸が胃の粘膜を傷つけないかというと、胃酸からの刺激を防ぐ粘液が粘膜から同時に分泌されるためです。
十二指腸では重曹が分泌されていて、胃酸を中和しています。
このみごとな調節はホルモンこと、自律神経が働いて行われています。

健康な状態では、このバランスが上手に保たれて、胃があることを感じさせませんが、バランスが崩れると胃は酸に犯され、潰瘍が発生します。
その第一の原因はストレスです。
不規則な生活、暴飲暴食などが次に上げられます。
又、鎮痛剤などによる急性潰瘍もあります。
胃潰瘍は非常に多く、日本人の約10%に一生のうち一度は潰瘍が発生すると言われています。
症状はまず上腹部の痛み、胸やけです。十二指腸潰瘍は夜間、空腹時の痛みが特徴です。又、必ずしも症状が出現しない場合もあります。
ですから治療中の方で症状がなくなったから、もう治ったと思わないで下さい。
潰瘍の危険因子は先にも述べましたストレス、鎮痛剤の他にタバコ、酒、コーヒーなども上げられます。
不摂生をして薬を飲んでも、ざるで水をくむようなものです。
何よりも規則正しい生活をすることが、一番良い事です。
食物は良く噛んで(口に入れたら20回は噛んで下さい。)、腹八分目を守れば良いでしょう。
良く噛まず、腹一杯でいつもイライラ、歩かないでは病気になりたいといっているようなものです。
最近はとても良く効く薬ができましたので、胃潰瘍で手術をする事も少なくなってきました。
薬は大きくわけて2種類に選別されます。
胃液の分泌を押さえる薬。もう一種類は胃粘膜を保護する作用を増強する薬です。
胃酸の分泌を押さえる薬は、塩酸を分泌する壁細胞に作用して、胃酸分泌を押さえます。一日4回から内服し、3回、2回、1回とだんだん減量していきます。
規則正しく服用しないと効果も少なく、中絶すると増悪することがあります。
次に保護作用を増強する薬とは、胃の血流を改善したり、粘液を増強させたりする薬のことです。薬は空腹時、すなわち食前や就寝前に服用した方が効果的です。
潰瘍は治りやすい疾患ですが、治療中に服薬を中止したりすると再発しやすくなります。再発をいかに防止するかが今後の問題です。
第一にストレスをためたりせず、刺激物を避け、規則正しい生活をする事。
第二に維持療法といって少量の薬を少しの間、続ける事です。
粘膜の状態が周囲と同じ位の強さになるまで続ける事が肝要です。

先月号で次回は車椅子の実践編と書きましたが、紙面の都合上次回に掲載させていただきます。ご了承下さい。
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