香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

English

コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第19号

ポイント オブ ノーリターン!!

ローマクラブとは1970年に当時からすでに深刻な問題になっている、天然資源、人口問題、環境問題、天災後の二次災害などによる人類の危機をどのように回避できるか探索する事を目的に作られた民間組織です。世界各国の科学者、経済学者、教育学者、経営者などから構成されています。ローマクラブが1972年に出版した「成長の限界」には、このままの状態で片寄った成長が続けば、食料問題、環境の破壊、災害の増大によって21世紀は地獄の世紀になると書かれています。
ここ2~3年を振り返ってみると奥尻島の地震や津波、三陸はるか沖地震、西日本の異常渇水、そして1月17日の阪神大震災など人間の想像をはるかに越える災害があいついでいます。アメリカでも異常気象が続いています。寒いはずのニューヨークがポカポカ天気になったり、気候の良いカルフォルニアでは長雨が続いています。 アスファルトで覆われた大地、伐採された森林、自動車の排気ガス、工場地帯の廃液、無理な埋め立てによる環境破壊、山間部を縦横に伸びる自動車道、そして私たちの出すゴミも自然にとっては大敵です。 その結果は皆さんもご存じのとおりです。緑の森林は砂漠化し、酸性雨の恐怖にさらされ汚染された湖に生き物の姿はなく透明度ばかりが目立ち、フロンガスによる気候の温暖化や熱帯雨林の減少につながるのです。
今、地球は警戒信号を出しているのではないでしょうか。
だとすれば私たちは何をしたらよいか考える時期にきているのではないでしょうか。 そして危機を感じる人を増やし、自分の生活を見直し、できる所で行動を起こすべきだと思います。
個人レベルから団体レベルに、団体レベルから公共レベルに、公共レベルから日本レベルに、日本レベルから世界レベルに、そして地球レベルで物事を考えていけるように努力したいものです。 又、そうしなければ人類が生き残る確率が少なくなるような気がします。
今回の災害をテレビ、新聞などで見ていると日本ってどうなってるの?
と疑問をもってしまいます。日本の行政が縦割りになっていますから、とっさの行動がとれなかったのでしょうか。
誰がどの責任を持つキ-マンなのかが、はっきりしなかったための命令系統の乱れなのでしょうか。
世界一の経済大国と言われながら、被災者の方々は不安をあらわにしています。
現場で何時間かを過ごすだけで本当に必要な的確な采配ができるというのでしょうか。
被災者に対する援助とは"不安をなくす事"ではないでしょうか。

骨の話第三回

前回、前前回とお話ししてきましたが今回は骨の構造についてお話しします。
骨は骨皮質、骨膜、骨髄、関節軟骨の四つから構成されています。

1.骨皮質
骨の本体を作っている白くて硬い部分です。細胞(骨細胞)とそれ以外の部分(骨基質)からできています。

骨細胞
医学用語ではOSTEOCYTEと呼ばれます。骨の細胞と聞けば全体が硬いイメージがしますがそれは全くの勘違いで普通の細胞と同じくらいの柔らかさです。 形は前身にどじょうひげがはえているような奇妙な形をしています。この骨細胞は骨質の中の骨小腔という空間に入っていますが、その名前から想像されるような働きはあまりしていなく、骨質の維持、管理が主な仕事で骨組織管理人のような役割をしています。 本当に骨を作っているのは骨細胞より一段階幼弱な骨芽細胞が行っています。 この骨細胞の形は化石の研究から約7千万年から1億年までさかのぼっていくことができます。太古の昔から変化していないのです。

骨基質
骨皮質のうち細胞以外の部分をいい、コラーゲン繊維(ゼラチンのような物で、市販されているゼラチンは動物の骨から取ったものです。)及びリン酸カルシウムを主成分とする繊維質からできています。骨が硬いのはリン酸カルシウムが粉状ではなくハイドロオキシアパタイトと言う複雑な結晶で結ばれています。生物の分類の中には脊椎動物と無脊椎動物があり、面白いことに人以外の脊椎動物でも骨はリン酸カルシウムからできています。無脊椎動物は炭酸カルシウムからできています。細胞と細胞との間を硬い化合物でみたされているのが特徴です。又肝臓などの臓器も病的変化を起こすと細胞が死滅し、結合組織に置き換わり硬くなってきます。これが肝硬変です。

2.骨膜
関節面以外のすべての骨の表面を覆っています。結合組織の薄い膜になっていて骨膜と呼ばれます。 骨の内面にあるのを骨内膜といいます。骨膜には神経と血管が豊富に存在しているが骨質内に入るのは主に血管で神経は入りません。弁慶の泣き所と言われる「すね」をぶつけたときに痛みが強く出るのも、そこに神経が豊富にあるためです。骨折の時の痛みも骨膜の損傷によるものです。骨膜の主体はコラーゲン繊維からできています。役目は骨表面を保護しているように見えますが、実際には保護効果はあまりなく神経から神経へと伝達するのが役目です。さらに重要な役目は骨を生成することです。

3.骨髄
骨の内腔に存在し、いろいろな組織からできています。多量の血液を作っているので外見上赤く見える所を赤色骨髄といいます。16歳以降になると赤血球を作る機能がしだいに低下し、黄色味を帯びた脂肪組織に変化し黄色骨髄と呼ばれます。
骨髄の量は以外に多く、体重60kgの人で約3kg、全血液量の半分にも達します。
黄色骨髄は脂肪を貯蔵しているみたいな物ですが、これは骨髄が機能を停止したのではなく、一時的に休止しているに過ぎません。病的な状態になると黄色骨髄は赤色骨髄に変化し造血機能が戻ります。 白血病、悪性貧血、溶血性貧血、癌の骨転移、ニーマンピック病などでは黄色髄はなくなります。 診断をするためには骨髄検査が必要になる訳です。
〈骨髄移植〉
骨髄の細胞成分を他の人に注入することをいいます。白血病や再生不良性貧血などの病気には効果的です。骨髄にも血液型と同じようにいくつかの型にわかれていて、同じ型でないと移植はできません。

4.軟骨
この言葉は杉田玄白の解体新書に初めて使われました。文字のごとく柔らかい骨ですが、中にはメスで切ることも出来ない硬い物もあります。
軟骨には軟骨細胞と軟骨基質から構成されていて、基質の成分の差により硬さが異なります。ガラス軟骨、繊維軟骨、弾性軟骨に分類されます。軟骨は結合組織に属していますが血管も神経もなく、軟骨基質のコロイドという物質が栄養の運搬をしています。当然ながら血液より流れが悪いため軟骨障害が起こると直りにくくなるのです。
変形性関節症、リウマチ性関節症などはこの軟骨がなくなり、骨と骨が接触し痛みを増強します。そのために軟骨保護膜の注入が必要になる事があります。
喉仏と言われる部分は甲状軟骨といわれ、外からも触ることができます。いわゆる声変わりをする事によって前方に飛び出し、男女の違いがあらわになります。旧約聖書によると人類の原罪のしるしとされています。

阪神大震災(兵庫県南部地震)体験談

1995年1月17日午前5時45分
新神戸駅を6時15分発の新幹線で高松に帰るために家を出ました。マンションの外廊下を歩いている時、グラグラッと最初の揺れがきました。
次の瞬間には突き上げるような揺れのために立っている事もできず、建物側に寄り掛かるようにしゃがみこんでいました。片手にゴミの袋をしっかりを持っている妻に「揺れが収まったら、部屋に帰るぞ。」と言ったのを覚えています。
激しい揺れになすすべもなく、斜め前方にある高層マンション(40階建て)がユラユラと揺れているのを見るばかりでした。揺れが収まると同時に部屋に駆け戻りましたが、部屋の中は真っ暗です。人工島の六甲アイランドのマンションは揺れを感じると同時にガス、水道、電気、電話などのライフラインのすべてがストップしたのです。
子供達の名前を呼びながら、部屋の静けさに一抹の不安を感じました。真っ暗で何も見えない事が恐怖と共に不安感を増長させたのです。
幸い誰もケガもせず、無事を確認してから洋服を着替えさせ、靴を履かせました。割れた食器があたりに散乱していたからです。
夜明けまでの2時間弱、何の情報もなく、心細いロウソクのあかりだけで小さな揺れを繰り返す地震に脅える子供達を励ましていました。
明るくなると共に部屋の惨状が見えてきました。寝室のベットの上にはタンスが倒れていました。というより散乱していました。いつものように寝ていたらと思うと背筋が寒くなるような光景です。倒れていないものは何もなく、すべての位置が変わっていました。その後、車まで行きラジオを聞いて初めて地震の震度がわかりましたが、島の中は思ったほど被害が少なく、学校へ行くと先生が「今日はお休み」と笑っていました。公衆電話だけが何とか通じていたので、病院に無事を知らせる事も出来ました。水道管が破裂しているのか道路から水が噴き出している(後からそれが液状化現象と知りました。)のを見学したり、道が寸断されている場所や島の端が水没しているのを写真に撮ったりする余裕もありました。今思うとこの地震にたいして楽観的に考えていたような気がします。
そのうち対岸の東灘区から三ヶ所、煙が上がっているのに気がつきました。そしてラジオがどんどん被害が広がっていると放送してきたのです。
何はともあれ高松に帰ろうと島を出てから驚きました。液状化現象は島の中よりひどく、泥沼化した道路には車が放置されていました。今にも崩れ落ちそうな阪神高速の下を走り、瓦礫と化した三ノ宮を通り、火災のために薄暗くなっている長田区を悲痛な思いで走り抜けやっと高松にたどり着くことができました。
思えば、本当に運の良いことがいくつも重なっていたことがわかります。
今も神戸で不自由な暮らしを余儀なくされている被災者の方々にお見舞い申し上げると共に、私たちの安否を気づかって下さった方々に、この紙面を借りてお礼申し上げます。