香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第150号

今年も。合掌。
今年ではや11年になります。その当時、私の家族は神戸に住んでいました。連休を神戸で過し、1月17日の朝、高松に帰ろうとマンションを出た時、激しい揺れで尻もちをついてしまいました。揺れが収まるのを待って、家内と二人の娘を連れて車の中に避難しました。ラジオを聞いても十分な状況が把握できず、とりあえず、ここにいたのではダメだ、山の方へ行けばなんとかなると思い、43号線にでました。その変わり果てたビル群を目の当たりにして私は恐ろしくなりました。すでにまるで原爆でも落ちたように見たこともない巨大な黒煙がたちのぼっていました。私達は六甲を抜け、中国縦貫を通り岡山を経由し、夜7時に高松にたどり着く事できました。震災から二週間がたち、子供の学校、自宅の状態が気になり、もう一度神戸に向かいました。病院から必要な医療品を持って避難所を訪れてみると、他府県からの派遣医師がきているという理由で内部をみ

ることを拒まれることがありました。未曾有の出来事にすべてが混乱し、一方その中に色々な発見がありました。近年、医療政策の変化により、私は自分の仕事に誇りを失いつつありました。しかし毎年、この事を思い出し、この大きな災害が私に教えてくれた、開業医師の本来の使命をもう一度再確認することができるのです。
1月17日、午前5時46分、合掌。

パラリンピックとは?

パラリンピックとは、4年に1度、オリンピック終了後にオリンピック開催都市で行われている「もう一つの(Parallel)+オリンピック(Olympic)」のことです。夏季競技大会と冬季競技大会が開催されています。
この大会に出場するためには、たいへんな努力が必要です。厳しい条件をクリアしさらに国内の競技団体に選考されなければなりません。ですから、トップアスリートだけが出場できる国際競技大会なのです。
トリノ冬季パラリンピックは、2006年3月10日より行われます。私の友人の高村君は長野とソルトレイクのパラリンピック、アルペン競技に出場しましたが、残念ながら今回は出場できませんでした。パラリンピックの歴史は英国王立ストーク・マンデビル病院の医師、ルードウィッヒ・グットマン博士が脊髄損傷による車いす患者の治療・訓練の一環としてスポーツを取り入れたことを契機として、1948年、ロンドンオリンピックの開会式の日に病院内でスポーツ大会が開催されました。
この大会は1952年に国際大会(国際ストーク・マンデビル大会)へと発展し、1960年にローマで開催された国際大会を第1回大会とし、その後、オリンピック年に開催される国際車椅子競技大会が、オリンピック開催地で実施されるようになりました。
当時、出場選手は脊髄損傷による車いす選手だけでしたが、後に他の身体障害者も加わるようになりました。1988年のソウル大会からは、パラリンピックという大会名が公
式に使用されるようになりました。冬季パラリンピックは、1976年にエーシェルドスピークで開催された大会を第1回とし、以後、冬季オリンピックの開催年に実施されています。2006年3月に実施されるトリノ大会は第9回大会です。
パラリンピック大会は、障害のある人たちに高水準の競技に参加する機会を与え、世界にパラリンピックの精神を広め国際親善を図ることを目的として、4年に1度開催されています。オリンピックは記録が残り、パラリンピックは記憶に残る。いい言葉だと思います。しかし、最近、私は少し疑問に思うことがあります。パラリンピックは元々脊髄損傷を負った人のためのスポーツ大会として始まりました。そして今も「障害者のための」オリンピック、と考えられ、日本でも、オリンピックが文部科学省管轄であるのに対して、厚生労働省の管轄であることからも、障害者の「リハビリテーションの延長」と考えられています。でも、本当にそうでしょうか。、何人もの選手が「見てもらえ
ば、これがリハビリでなく競技であることが分かってもらえるはず」「私たちはアスリート」と言っています。
わたしは、実際に選手に会い、競技を見て、その言葉が真実であることを感じました。そこにはリハビリを超えた、オリンピック選手と何ら遜色のない、パワーと技術を感じさせられたのです。
ただ単に「足が悪いからチェアスキーに乗っている」、ただ単に「目が悪いからガイドが付いている」というだけなのです。それを、「リハビリの延長」とか「障害があるのに偉いね」といって片づけることなんては出来ないと思います。障害があること、手足が不自由なこと、目が悪いこと、耳が悪いこと等々、それらがなんで特殊なのでしょうか。また、パラリンピックがあることで、「障害者はパラリンピックに出ればいい」と、障害者を健常者と分ける考え方も出てきてしまうと思います。「障害のある人もない人も共に暮らす社会」と訴えつつ、健常者の大会、障害者の大会、と分けるのはおかしいと思うのです。
だから私は思うのです、「障害者のための」パラリンピックなんて必要ないのでは?と。オリンピックがその競技の最頂点であり、目標とされる大会であるなら、障害を持っている人にとっても同じように目標となるべきだと思うのです。もちろん、障害のある人とない人がまったく同じ線上で戦うのには無理なところもあります。でも身体的なハンディキャップに対しての配慮さえきちんとすれば、健常者と障害を持つ人が同じ大会で一緒に戦ってもいいと思うのです。(この、ハンデに対しての配慮、というのが一番難しいから、分けてやれば簡単、と思われるのでしょうが)つまり、例えばパラリンピックでのクラス分けやオリンピックの体重別を同じ競技として取り入れ、障害のある人でも実力があれば健常者と競ったり、健常者がスレッジに乗ってホッケーをしたり、チェアスキーをしたりしてもいいのではないでしょうか?
パラリンピック競技は、競技人口が少ないため、認知されにくく、用具の普及や開発、環境整備も遅れていると言われています。でも、「アイススレッジ」はオランダで凍った水路を走る「アイスピッキング」を発祥とし、元々、障害者に限ったスポーツではなかったように、健常者だってアイススレッジを楽しんでいいと思うのです。そうすればもっともっと普及していくのではないでしょうか。
今回のパラリンピックが、人々の心の中の、「障害者はかわいそう」「障害者にはいたわりを」という、ちょっと見下すような気持ちを吹き飛ばし、障害のありなしは関係なく、「その人」を見つめることが出来るきっかけになればと思います。会場で子供が、スレッジホッケーやチェアスキーの選手にサインを求め、一緒に写真を撮ってもらっていた、というような情景が見られないでしょうか。子供達の心の中で選手は単に車椅子に乗っているだけで、プロ野球やJリーグの選手と何ら変わりのない「かっこいい人」「憧れる人」なんだ、というようなそんな、そんなのっていいですよね。今まで、障害を持つ人に憧れる、なんてこと、考えられなかったのでは?
障害があるということが特別でもなんでもない、障害はその人のオリジナリティ、そんな気持ちになった人が一人でも多く、そして、その気持ちがいつまでも続くことを、願ってやみません。

第15回吉峰病院映画楽会
題名 「クイ-ル」
日時:1月26日(木)
午後1時より上映
場所:3階食堂

一匹の盲導犬と様々な人々との触れ合いを温かいタッチで描いたドラマです。とにかく犬の演技に感心。犬の表情で語らせようとする監督の意欲に脱帽しました。これは余程犬好きでないと撮れない映画だと思います。短い生涯を視覚障害者の伴侶として過ごす犬の生き方が幸せかどうか、なんてわかるはずはありませんが、そんな人間的価値観に囚われず、素直に生き、素直に友人とつきあいそこに歓びを得ていたとしたら、盲導犬もイヌとしての生き方を全うしたと考えられるのではないでしょうか。ほんのりあたたかさが残る作品です。一番好きなシーンは病院のベッドで渡辺満がクイールに振る別れの手。やられました。何か言えば、それを手がかりに渡辺満の気持ちを考えてしまうし、顔の表情ではなくて手でやられると、手が振られている間観てる側で想像がどんどんふくらみ別れのつらさが大きくなっていきました。クイールの死には涙しました。パピーウォーカーの元に帰ったクイールは幸せだったのでしょう。ただ、それを積極的に伝えようとするシーンがないので、クイールの一生がほんとうに幸せだったのか。それゆえに涙してしまったのかも。もう一度、あのおもちゃの熊との楽しいシーンがあれば、クイールの幸せを確信できたように思うのですが...。
ハンカチをお忘れなく。お楽しみください。