香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第118号

車椅子ツインバスケットボールをごぞんじですか?

近年、障害者のスポーツがマスコミに取り上げられるようになりました。
特にパラリンピックは外国に比べ日本ではあまり関心が集まらず残念に思っておりましたが、今はテレビ放映もされるようになり多くの方に知られるようになりました。しかしながら四肢麻痺の人たちがするスポーツは私たち医者でもあまり知られていず、今回この機会が与えられたことで少しでも彼らの頑張りが伝えられたらと願っています。車椅子ツインバスケットとは下肢のみでなく、上肢にも障害を持つ重度障害者でも参加できるように考案されたスポーツです。
その最大の特徴は名称の通り「ツイン」つまり二組のゴールが設けられていることです。従来の車椅子バスケットボールに使用されている正規のゴール(高さ3.05メートル)の他に、もう一つの低いゴール(高さ1.20メートル)が設置され、正規のゴールに届かない選手のためのゴールとしました。更にその周囲には3.6
メートルの円(フリースローサークル)があり、シュートする選手を円外、円内に区別しました。これによってそれぞれの選手が自分の障害に応じてシュートすることが出来るようになり、独自の役割をゲームにおいて果たすことができるようになったのです。
コートの大きさは一般公式コートと同じ広さ、ラインの引き方も同じです。ボールは5号のゴム製バスケットボールを使用します。皮革ボールは指機能、握力の全廃、著しい低下のため滑るから使用しません。
残存機能レベルのハンディを調節するためにプレイヤー個人のレベルに応じて1.0~4.5点の個人の持ち点があり、コート上の5人のチーム合計持ち点が11.5点を超えてはいけません。しかし、その5人の中に45歳以上の選手がいる場合シニアハンディが適応され12.0点まで認められます。
シュート方法も機能レベルに応じて区分が3通りあり、その区分に応じてヘアーバンドの色が決まっています。個人持ち点3.0~4.5は上ゴールでヘアーバンドは無し、2.5~2.0はゴールの円外シュートで白色、1.5~1.0は下ゴー
ルの円内シュートで赤色と決まっています。
時間のルールは一般および一般車椅子(下肢麻痺者など)の選手に比べて四肢麻痺者は動作が遅いためフリースロー、スローインなどの5秒ルールは同じですが、制限区域の3秒ルールは10秒に、10秒ルールは15秒に、30秒ルールは40秒にそれぞれ延長されています。
一回のドリブルで車椅子2回までプッシュ(漕ぐこと)ができ、ボールを保持していないときは車椅子を何回でもプッシュすることができます。ダブルドリブルはありません。正規のドリブルが機能的に出来ない選手のために(赤のヘアーバンド)ボールを両手で胸以上の高さで持ち上げる動作が認められています。
持ち点2.0以上の選手(ヘアーバンドが白色、無しの選手)のサークル内で可能なプレイは通過、ルーズボールなどが許され、円内にいる選手に対してディフェンス・オフェンス行為はすべて出来ません。男女混成チームが認められています。
ツインバスケ車の規定は次の通りです。
・3輪、4輪のものでブレーキやギア構造の無いもの。
・バンパー高11cm(パイプの中心が約11cm)。
・シート座面高が最大高53cm。
・後輪の最大幅66cm。
・転倒防止を使用する場合は走行時の状態で後輪の直線上を越えないこと。
ルールの説明を簡単に述べさせていただきました。1982年、国立療養所箱根病院と神奈川県総合リハビリテーションセンターでの親善試合から始まり、翌1983年5月、第12回日本車椅子バスケットボール選手権大会にデモンストレーションゲームとして参加。1987年、第1回日本車椅子ツイン(頚髄損傷者)バスケットボール選手権大会。厚生大臣杯争奪日本車椅子ツインバスケットボール選手権大会とは全国を東北、関東、東海、近畿中四国、九州の5つのブロックに分け、各ブロックで行われる予選を勝ち抜いたチームによって行われるトーナメトです。1988年2月、日本車椅子バスケットボール連盟の傘下として承認さ
れました。
2001年には厚生大臣杯も15回目となり、全国に50チームを数えるようになりました。この競技において最も大切なこと、すなわち勝敗を左右するのは選手間のパスワークです。
お互いの障害の状態をしっかり把握し、それに応じた正確なパス。
そのためには日ごろの練習の時からお互いに声を掛け合い、意志を通じ合わ
せることを心がけることが何より重要なのです。
どんな人でも、どんな障害があっても仲間と一緒にスポーツをする楽しみを奪うことは出来ません。そのために考えられたどんな人でも参加できるこのツインバスケットは多くの障害を持つ人に大きな夢や希望、喜びを与えてくれたはずです。
整形外科の本に採用されました。

映画監督 木下恵介に思う

なつかしき笛や太鼓が5月18日に県民ホールで「映画の楽校」の3時限として上映されます。私にとっては木下恵介のNO.1です。
これが宣伝コピーです。
「映画の楽校」が36年振りに彫り起こす巨匠・木下恵介監督の感動大作。
戦友の遺児が瀬戸内海の小島・香川県小手島の中学校に赴任した教師(夏木陽介、好演!)が、様々な苦難にあいながらも、何事においても気弱だった生徒たちをバレーボールを通じて成長させ、やがて地区大会で優勝するまでを描いた感動作。とうに、丸亀城で行われる大会場面は出色で、決勝戦で苦戦を強い
られた生徒たちが、それまで履いていた靴を脱いで裸足で試合に挑む場面など、まるでドキュメンタリーを見ているような味わいがあり、木下恵介という監督の力量が感じられる名場面である。
瀬戸内の美しい風景を四季に写してケンランと描かれるこの映画は、実話の映画化であり、まさしく県民映画というに相応して名作である。

二十四の瞳
まさに木下監督の真骨頂を発揮した名作。この作品を感傷的とか叙情的過ぎるという方もいますが、そこのどこがいけないのでしょうか?感傷的、叙情的大いに結構じゃないですか。木下監督が海外で評価されないのは、そういったところらしいですが、日本人は海外の評価に弱すぎますね。周知の一致するところ、戦後の日本映画を代表する映画監督と言えば、黒澤明、木下恵介、今井正の3人だと思います。戦前からの監督の内田吐夢、溝口健二、小津安二郎、成瀬己喜男といった面々も、揃って代表作を生み出していますが、戦後派の3人も代表作を放っており、戦前派の魅力、戦後派の力量が交錯した点でも、この時期は日本映画史における最初で最後の絶頂期でしょう。とくに54年、黒澤の『七人の侍』、木下の『二十四の瞳』が揃って公開されている点がなんともおもしろい。ともに内容においては、明らかに前年まで続いた朝鮮戦争、自衛隊の設置、日本再軍備と言った時代性が強く意識されているのか、黒澤がヒロイズム、木下がセンチメンタリズムをもっともストレートに表現されている様に思います。。前年に公開された今井の『ひめゆりの塔』も併せ、この3人が揃って戦争観を根底に置き、自己の個性を最大限に発揮した作品を同時期に発表、映画としての限界までをも垣間見せているように感じます。さて本作品ですが、日本人ならば知らぬ人はいないほど有名な小説の、忠実かつ完璧な映画化です。、木下映画の最高峰であるのみならず、松竹大船調メロドラマ、日本型大衆映画の一つの到達点であることは間違いありません。まあこの点については、『七人の侍』におけるマルチカメラによるアクション演出も黒澤映画の最高峰であり、かの作品が日本アクション映画の頂点であることと事情は同じです。作風は対照的ながら、やはり黒澤と木下は、互いに永遠の好敵手だったのですね。

野菊の如き君なりき
「野菊の墓」は,伊藤左千夫自身も読むと泣いてしまうのだそうです。それだけのお話を正統派松竹路線の木下恵介ががっちり映画化したのだから,泣かせだとわかっていてもやっぱり泣いてしまいます。
もちろん有田紀子という可憐なヒロインがあってこその映画が成立するのだが,彼女の出演作はほとんどこれきりだというのが実に淋しい。まさに民子を演じるための女優だった。喜びも悲しみも幾歳月いかにも大船調・木下調に過ぎ,毒も薬もなく,見巧者には物足りない感があるかもしれません。逆に言えば大らかで大衆的で,そこいらのおっちゃんおばちゃんをこぞってコヤに引き込
みました。佐田啓二と高峰秀子はまさに幾歳月の間,相和して全国の灯台
を守り続ける。幾歳月にもおよんで互いを信頼する二人の姿,夫婦の契る意義がそこに感じられるこの映画を結婚映画の秀作として,若い二人の門出に贈りたい。終末に向かってじょじょに盛上っていく作品です。並の監督ではこうは撮れません。ただ、桂木洋子の使い方もったいないかな。最高のお勧めは高峰秀子の台詞回し。特に「戦争が早く終わればいいのに」の部分は。高峰秀子のこのセリフが本作品の価値をぐっと高めました。