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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第116号

核医学とは!!!

北朝鮮の核再処理の再開、イラクの核兵器問題など核の話題で世の中はもちきりです。
今回はいい核、医療に使われている核についてです。
核医学検査は、単純X線、CTスキャン、超音波、MRIなどと同様の画像診断の一つで、病院によってはアイソトープ検査あるいはRI検査などとも呼ばれています。微量の放射線を出す放射性医薬品を患者さんに注射して、その体内での分布を外部から画像としてとらえ、形態、病態の把握、治療効果判定に役立てる検査方法のひとつです。
ラジオアイソトープには、一定の時間ごとに放射能が半分ずつに減少していく性質があり、この半分になるまでの時間を半減期と呼びます。一般的に核医学検査には、患者さんおよび医療スタッフの受ける放射線量、すなわち被ばく量の少ない、短い半減期を持つラジオアイソトープを用います。検査は、多くの場合放射性医薬品を静脈注射し、ガンマカメラという装置の下に寝ているだけであり、患者さんへの負担は大変少なく、1回の検査はおおよそ5分から1時間以内に終了します。放射性医薬品は種類によって体内での動きや分布が異なり、それらを捉えることで各種臓器の形態や、血流・代謝のようす、腫瘍の原発巣および骨や他の臓器への転移など、様々なことが検査できます。
この検査によって得られた画像からは、各臓器や組織の形態的情報のみならず、病気があるかないかの診断だけでなく、どのような性質の病気かもわかります。核医学検査はこの特徴により、治療方針の決定や治療効果判定に大いに威力を発揮します。
「放射線」というものが存在することを初めて人類に知らせた人は、レントゲン博士です。今から100年以上前の1895年、レントゲン博士は真空放電の実験中に、写真乾板を感光させ蛍光物質を光らせる目には見えないものが出ているのに気づきました。この正体のわからないものをX線と名付けました。このX線が、現在放射線と呼ばれているものの一つでした。
翌年の1896年、フランスのベクレル博士は、ウラン化合物が絶えずX線とは異なる透過力の強い放射線を放出していることを発見し、物質が放射線を出す性質を放射能と名付けました。放射能を発見したベクレル博士の名前は、現在放射能の単位として使われています。
その後、ポーランド出身のマリ・キュリー博士は、ウランの他にトリウムも放射線を出していることを突き止め、さらに夫のピエール・キュリー博士とともに、1898年、ウランの250万倍もの放射能を持つ新しい元素「ラジウム」を発見しました。またキュリー夫妻は、これらの放射性元素が自然に消滅していき、一定時間(半減期)ごとに原子数が元の半分に減少することを見いだしました。なお、ウラン、ラジウムなどのように放射線を出す元素を、ラジオアイソトープ(放射性同位元素:RI)と呼んでいます。
イギリスのラザフォード博士は、原子が他の種類の原子に変わる時に、原子核から放射線が出ることを発見し、放射線のうちプラスの電荷を持つものを「アルファ線」、マイナスの電荷を持つものを「ベータ線」と名付けました。これが1899年のことで、翌1900年にはフランスのヴィラール博士が、まったく電荷
を持たない電気的に中性の放射線を発見し、「ガンマ線」と呼びました。
すべての物質は原子が集まってできています。原子の中心には正の電気を持った原子核があり、その周りで負の電気を持ったいくつかの電子がそれぞれ決まった軌道の上をまわっています。原子核は、正の電気を持ったいくつかの陽子と、電気的に中性であるいくつかの中性子からできていて、原子核の種類は陽子の個数と中性子の個数の組み合わせによって決まります。アイソトープ(同位元素、同位体)とは、陽子の個数が同じで、中性子の個数が異なる原子同士のことを指します。これらの原子核は、質量は異なりますが同じ化学的性質を持ち、同じ元素に属しています。アイソトープの中でも、圧力、温度、化学
的処理など外部から加えられる条件に関係なく、ひとりでに放射線を出して他の種類の原子核に変わるものを、ラジオアイソトープ(RI)と呼んでいます。放射能とは、原子核がアルファ線、ベータ線、ガンマ線などの放射線を出して、他の種類の原子核に変わる性質のことで、この現象を壊変あるいは崩壊といいます。
壊変が起こるため、RIの原子数は、時間の経過につれて減少し、原子数がはじめの半分になるまでの時間を半減期と呼びます。半減期はRI固有のもので、数十億年以上といった長いものから、百万分の1秒以下の短いものまでいろいろありますが、温度、圧力といった外界の影響は受けません。目に見えず、耳に聞こえず、味も匂いもなく、触れてもわからない放射線の存在を人類が知ったのは、ほんの100年ほど前のことであり、わからないことも多いのでどうしても不安に感じがちです。しかし、地球上の生物は皆、大昔から放射線のある
環境で生活してきました。
大地はいろいろなラジオアイソトープ(放射性同位元素:RI)を含んでいるので、常に放射線を出しています。太陽や宇宙のかなたで発生した宇宙線という放射線も、いつも地球に降り注いでいます。また、私たちの体もいろいろな天然のRIを含んでいて、これらから出る放射線を体の中からも浴びているのです。問題は、どのくらいの量をどれくらいの時間浴びるかで、熱湯ではやけどをしますが、温泉に入ってもやけどはしないのと同じことが放射線に関しても言うことができます。
もちろん被ばくは最少限に抑えるのにこしたことはありませんが、核医学検査における放射線の影響は、普通の生活で人が自然界から受ける年間放射線量と同程度で、それによってただちに悪影響を受けるようなことはありません。

思い出の映画

地獄の黙示録・特別完全版
過酷を極めた製作過程での様々なエピソードも含め、映画史を語る上でも欠くことの出来ない歴史的問題作の特別完全版。初公開から22年を経た今、コッポラ自らの手で再編集、フランス人入植者の農園での幻想的なエピソードなど新たに53分もの未公開映像を追加、戦争の狂気と虚無をより多面的に描き出しました。ベトナム戦争が真っただ中のサイゴン。アメリカ陸軍情報部のウィラード大尉にある密命が下される。それは、カンボジアに特殊任務で赴いたままジャングル奥地に自らの王国を築き、カリスマ的な存在と化した危険人物カーツ大佐を暗殺せよ、というもの。任務を遂行する為、ウィラード大尉は4人の部下とともに哨戒艇に乗り込み川をさかのぼる。道中、極限状態に晒され続けた彼らは幾多の異常な世界を体験していく。やがて彼らはついに、ジャングルの奥深く、カーツ大佐が潜伏する"王国"へと辿り着くのだったが......。
戦争映画史上いつまでも渾然と光り輝くであろう不朽の名作。「ウィンド・トーカーズ」や「ワンス&フォーエバー」など最近の爆発のみで構成されている戦争映画と次元が違うような感じです。ほかにここまで狂喜を描いた映画はないだろう。戦争に高揚感を求めずにいられない兵、自分が矛盾のなかにいるとは気づかない軍人。そういった思想のひずみから戦争の無意味さとは違う異常さを引き出す。大佐の考えかたは間違ってはいない。しかし、それが善なのか悪なのかというのは別問題だ。人間が作った人間自身を陥れる狂気という名の落とし穴。そこでは暗闇のみが広がり、何も見えず、方向すら掴めない。どこに正義があり、どこに悪があるのかを。正義はあるのか、悪はあるのかを。今のイラクとブッシュの正義と悪にキッパリと分けられてしまう無益な対立に愚かさを感じずにはいられません。
ドアーズのジ・エンド。冒頭から流れるジ・エンドという曲。この歌詞の中にこの映画の全てが語られている。1979年の公開時でも、赤旗、共産党でさえ、この映画を評価していた。反戦映画として。いわく、「戦争の狂気と非人間性を余すところ無く描いている」と。
ベトナム戦争について、正義とヒューマニズムにあふれたアメリカ軍(と信じられていただけなのだが)がベトナムでしたことは、ジャーナリズムにより、余すところ無く知れ渡っている。
それを映画の冒頭で見せる。
そして、ボートでベトナムの奥地に深入りすると共に、そこ、アジアのジャングルの野蛮さ、未開の文明などが明らかになる。
全編を通じて黒とオレンジで塗り固められた映像は、絶望感と高揚感とを同時に喚起させ、実に美しい。またサイケデリックなサウンドは、どこか宗教的なムードと戦争当時の時代の空気を感じさせ、物語の演出にも絶大な効果を生んでいる。
これら、見事な演出力で表現された各シーンから受ける印象の強烈さは、明らかにこれが傑出した映画であることを物語っています。
永遠に続くのではないかと思うほどの銃撃とヘリの轟音、それをバックに呑気にサーフィンの話に興じる兵士たち。そのイカれてるとしか言い様のないほどの違和感に、僕は鳥肌が立ってしまった。
これは、全てのモラルが吹き飛び、人間の本性が極限までむき出しになる「戦場」という空間で演出される究極の人間ドラマだ。決して「古いのに時代を感じさせなくて云々」というレベルで語るような映画ではない。現代でも、と言うよりもおそらく未来永劫変わることのない、人間という生き物の深淵の部分を描こうと試みた傑作だと思う。
ただこの完全版は、追加されたシーンがそれほど必要だとも思えなかったのが残念。特にクライマックス直前のカーツ大佐との絡みの部分は...大佐はカリスマなんだからもっと奥でじっとしてるべきだったんでは!?フランス人農園のシーンも含めて、追加された事で逆に映画全体の印象を散漫にしてしまった部
分が多く、完成度で見ればオリジナル版のほうが高いかな?と思いました。