香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

English

コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第104号

肉離れって!!

少しずつ春めいてきてプロ野球のオープン戦も始まりました。
大リーグに挑戦する"選手"が今年も増えています。
スポーツをするには良い季節です。
今回はスポーツ選手の障害で一番多い"肉離れ"について勉強しましょう。
この肉離れといわれるものは医学的には正式な病名ではありません。
スポーツの現場での経験からそう呼ばれるようになりました。
広辞苑によりますと「急激な筋の収縮により、筋肉又は骨格筋を構成する筋繊維の一部が切れること。疾走あるいは跳躍時に起こり、激痛を覚え、運動障害をきたし、また内出血のため血腫を形成する」とあります。
実際に大腿部の肉離れを経験した選手に聞いてみると、走っていて急に大腿部の筋肉がぶちっとちぎれた感じがして、何かが刺さったような鋭い痛みを感じて走れなくなったとの訴えが多いようです。
つまり、この肉離れは「スポーツ動作中に外力が加わっていないのに急に筋肉が切れたような実感がするとともに痛みを感じプレーの継続が困難となる状態」という現象そのものについた名称です。
明らかな外力が加わらない、自己筋力による筋の損傷であることが特徴です。
この為、打撲等直接外力による筋損傷とは異なります。
欧米ではMuscle strainと呼ばれていて、日本でいう肉離れと筋損傷をまとめた呼び名でいわれています。
発生部位は下肢にみられ、高校生以下では大腿部に多く、大学生では大腿から膝後面にかけて多く、30歳以上ではふくらはぎに多く発症しています。
スポーツの種類からみると高校生以下ではサッカー、野球が多く、大学生位の年齢になると短距離走、テニスなどの時に起こり、30歳以上になると運動会などのレクリエーション中に起こる事が多いようです。
また発症時期からみると4月と10月にピークがみられます。
スポーツのシーズン初めにはウォーミングアップやストレッチ不足が原因になりやすく、疲労の蓄積により筋柔軟性が低下した時に発症しやすくなります。

治療について

ほとんどの例では歩行は1週間以内に可能となり3週間程でスポーツ復帰が可能になることが多いようですが、復帰をあせるあまり、再発する例も時にみられます。
受傷後には血腫の状態により肉離れの程度がはかれます。
その為にどれだけ早く出血を押さえるかがポイントになり、その結果、初期治療が大切になります。
48時間位は安静、固定、クーリングを行う事により血腫形成を最小限にとどめることが出来ます。
患部を心臓より高く挙上することも重要です。
また松葉杖を使用することも必要になることがあります。
48時間以後は局所の循環改善をはかったり、損傷した筋肉の回復をはからなければなりません。
その為には積極的にリハビリを行います。
その時は痛みを参考にして行わないと出血がおこる事かあります。
だいたい3週から重症では6週間位リハビリを行いましょう。
硬結の有無、痛みを確認しながらリハビリを追加していきましょう。
健康例の筋力トレーニングはもとより、全身の強化も48時間を過ぎれば開始すべきだと思います。
再発防止の為には基本的にウォーミングアップ、ストレッチング、筋力トレーニング、走力トレーニング、クーリングダウン、アイシングを行います。
スポーツ復帰には、それぞれの種目によって一定の基準を作っておくべきでしょう。肉離れは安易に考えていると再発を繰り返しスポーツ障害になることがありますので十分注意する必要があります。パラリンピックを応援しましょう!
1944年、イギリス政府が神経医であったルードイッヒ・グッドマン博士に要請し、傷病軍人の治療のためロンドン郊外にストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターを開設しました。
ここで障害者のリハビリのためにスポーツを取り入れるようになり、その効果が絶大だったため、その人達の競技会を1951年に開催したのがパラリンピックの始まりです。
1964年に行われた東京大会で始めてパラリンピックという名称が使われました。それまではセンターの名前を取り入れストーク・マンデビル大会と呼ばれていました。Paraplegia対麻痺とOlympicオリンピックを合わせて合成されパラリンピックと呼ばれたのです。
現在はparaという意味はパラプレジアという意味の上にもう一つのという意味があり、オリンピックともう一つのオリンピックという意味でパラリンピックと解釈されています。
オリンピックと同じように4年に1回開催されています。
オリンピックは記録が残り、
パラリンピックは記憶に残る。
2月18日に東京で選手団による結団式、壮行会が行われました。
3月7日より16日までオリンピックとおなじソルトレークで開かれます。
種目は大きく分けて、ノルディックスキー、アルペンスキー、アイススレッジホッケーの3種目にわけられ、またノルディック、アルペンでは障害の度合いにより更に14種目にわけられています。
これは選手の競技条件を公平にする為に行われています。
肢体不自由を示す LW-Locomotive Winter
視覚障害を示す  B-Blind
知的障害を示すID-Intellectual Disability
があり、さらにLW、Bは障害により細分化されています。
私の友人である高村 俊彦が4回連続で出場しています。
彼はLW12/2というクラスでアルペンスキーに出場します。
NHKで放送されると思いますので是非応援をして下さい。

高倉 健の世界

高倉 健は昭和30年、東映のニューフェイスとして俳優の道を歩み始めました。
電光空手打ちでスクリーンデビューを果たすも、あまり目だった存在ではありませんでした。
私にとっての高倉 健のデビューは中村錦之介主演、内田叶夢監督、吉川英治原作の「宮本武蔵」です。
佐々木小次郎役で出演し、原作のイメージ通りの若き剣客振りでした。
その後、日本侠客伝シリーズ、網走番外地シリーズ、昭和残侠伝シリーズ等100本近い映画に出演しました。
高倉 健というよりも「健さん」という方が馴染み深い名前ではないでしょうか。
アメリカ映画「ザ・ヤクザ」に出演、ロバート・ミッチャムとの共演でそれまでの集大成ともいうべき映画となりました。
その後東映を離れ、「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」「冬の華」「野生の証明」「駅」「南極物語」「居酒屋兆治」「海へ」などに出演し、1989年にはマイケル・ダクラスと競演した「ブラックレイン」があります。
松田優作の遺作となったブラックレインは劇中で「What I Say」を歌っています。
ハリウッドの一流俳優にも引けをとらない存在感がありました。
1992年、アメリカ映画「ミスターべースボール」に、1994年「四十七人の刺客」と大作に挑みました。
「鉄道員(ぽっぽや)」はご記憶に新しい作品ではないでしょうか。
昨年は「ホタル」に出演し日本人の心に残る映画を作ってくれました。
「ホタル」は「鉄道員」のスタッフを再結集した映画で行き残ってしまった特攻隊員の悲哀を彼の背中が、動作の一挙手一投足に現わした彼の演技力に驚かされました。今、何故この映画なのかと最初は思いましたが、戦争の記憶が風化しつつある現在、こんな時代もあったのだと、忘れてはいけない時代に生きた一人の青年の心の襞が丁寧に描かれていたような気がします。
特に脇を固める奈良岡朋子が特攻隊員のおっかさん役を絶妙な演技力でカバー、奥さん役の田中裕子は健さんに比べて若すぎると思いましたが違和感なくなじんでいました。回想シーンでは若手俳優が少し現代的過ぎる感がありましたが、日本に従軍した韓国人の存在が物語の軸になっているのが目新しく、当時の日本という国が他国に与えた影響が今も根強く残っているのが悲しい現実を教えてくれました。
特攻隊の生き残りというとNHKドラマの「男たちの旅路」の鶴田浩二を思いだしますが、彼とは違った少しどろくささが健さんの魅力ではないでしょうか。
個人的には見終わってみると健さんの映画というよりも奈良岡朋子の映画のような気がしないでもないと思ったのですが。
年と共にその演技力に磨きがかかっている健さんの今後に期待します。