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コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第103号

看護とは

看護という仕事はどういうものなのでしょうか・・・。
言葉でいうと看て、護るということですが。
その行為自体は人類が人として地球上に生まれた時からあったのだと思います。
誰でも困っている人を助けたり、自分よりも幼い人や年老いた人に手を差し伸べてあげたいという気持ちをもっていると思います。
このような思いが良い人間関係、社会につながっていくのでしょう。
そして社会が複雑になってくるほど相手に気を使ったりすることがより大切なことになってきます。
人間は誕生し、乳児、学童、青年、中年、老年・・・・・と変化していきます。
その過程で時として心身の不調や健康上の問題が起こることがあります。
その時に看護が必要になってきます。
つまり人間が一生のうちで直面する大きな出来事に対してケアを専門的に行う仕事が看護です。
これを職業とする人達が看護婦・看護士と呼ばれる人々です。
彼らはもし病人がいれば、その闘病意欲をより大きく持たせたり、一日も早く健康な生活ができるように援助します。
精神的な喪失があってもその人とともに回復のチャレンジをしたり、少しの可能性でも見逃さずに注意深く患者さんを見守ります。
また、死を間近にされた方にはその最後の人生がより人間らしく、その人らしく生きていくことができるように援助します。
さらに病気や手術をきっかけに健康とはどうはいうものかという関心を高め、病気、ケガの予防について手助けを行います。
患者さんの気持ちを代弁するのも看護です。
その看護の基盤には医療と共有する面が多くありますが、その範囲は医療を超えています。
それが今確立されている看護学という学問です。
人間が人間に働きかける看護はこれからも進歩していきます。
医学の進歩はめざましく、臓器移植も現実になってきている現在、臓器提供者の問題、受ける側の問題、その双方にある様々な問題があります。
そのような人々に寄り添う立場にいるのが看護婦・士です。
彼らはまた一般の人々よりより多く「死」という場面に遭遇することになります。
そのためには人の死に対していつも向き合っていなければなりません。
どんな状況下に置かれていたとしても人間として、その呼吸が停止する直前までその尊厳を守ってあげるのが看護です。
今の医療保険制度ではそのような事に心を砕く余裕はありません。
僕が言っていることは無駄と切り捨てられた患者さんと看護をする人との心の問題だからです。
でもだからこそ、大きな声で僕は言いたいのです。
どのような時でも、どのような人とも、共に語り合う、共に生きることが看護婦・士としてのサポーターの道であると・・・。
ただ生きていればよいというのではなく、病気や障害の種類や状態に対して厭わず、生まれて、生きてきて本当に良かったと思えるように援助の実現をしなければならないと思います。
どのような病気や障害があっても、人間の尊厳をふまえ、その人らしく生きて行くことを可能にする、これが看護です。

教科書によりますと
・人間の生命の尊厳
・人間をとりまく自然社会環境
・健康を左右する社会的要因
・個人レベルの生活行動
これらを確立するのが看護学といわれています。
言葉で表すと難しいようですが人間を理解することだと思います。
理解することなどと簡単そうに書いていますが一番難しいことです。
妻や夫という間でさえ、その人の生い立ち、性格、人生観などをすべて把握しているはずないのですから。
その大変な「理解する」ということをいとも簡単にしてのけるベテランが看護をしている人々なのです。
各人の思いに少しでも近付き、病気と闘わせる勇気を引き出し、弱くなった心に活を入れるためには、知識と想像力、経験とそして気づく事が必要です。
つらそうにしているのは何故か、悲しそうなのはどうしてかということを常に考え、どうしたらいいのかを模索し、一日の初めから終わりまでが学びとらねばならない戦場であるのです。
だからこそ情報も必要です。本人から家族からその病歴や症状をできだけ提供して下さい。注意深く観察することは看護婦・士だけではなく家族にも大切なことです。
家族の看護は患者さん自身が一番喜ぶことですから。
看護は「気づく」ことから始まることに気づいて下さい。
今年も四月から医療法の改正があります。
国会でも議論されていますが机上の空論のような気がしてなりません。
「踊る大捜査線」というテレビドラマで平の刑事が叫んでいました。
「事件は会議室で起こっているのではない。現場で起こっているのだ。」
現実の医療現場で何が起こっているのかを知っていただきたいと思います。
医療には治療、看護、予防、リハビリ等さまざまな学問が一つになっていなければ医療とはいえません。
人々の生命と健康に貢献できる社会体系を築いていくため、より深く看護を追求していきたいものです。

セラチア菌について

前月に東京の病院で院内感染がおこり数名の方が亡くなられたと報道されました。
その時セラチア菌が原因になっていたことが判明しました。
セラチア菌とは大腸菌のように腸内にいる細菌の一種で鮮やかな赤い色をしています。水や土の中など自然界に広く分布しています。
一般には病原性は弱く、健康な人が菌を持っていても害にはなりませんが、高齢者や手術の後など抵抗力が低下している人に感染すると肺炎を起こしたり、時には死にいたることもあります。
・耐性菌について
英国の微生物学者フレミングが1928年、カビの生成後に殺菌力のあるペニシリンを発見した事から抗生物質の歴史がはじまります。
その後、土壌微生物からストレプトマイシン・クロラムフェニコールなどの新物質が発見され魔法の薬と重宝されました。
ところが細菌の中にも強いものがわずかにいて全滅していませんでした。
この生き残った菌が数十分、数時間こどに世代交替を繰り返し、耐性を受け継ぎながら増殖していました。
その防護法は多様で、細胞表面の構造や性質を自ら変え、抗生物質の分子構造を変える菌や、中に入って抗生物質をすぐに外に排出してしまう菌もいるのです。
異種間の菌の間でも耐性を受け継ぐことがあります。
それにはプラスミドと言われる細胞外に存在する遺伝子が関与しているといわれています。この遺伝子は簡単に飛び出し他の遺伝子に入り込みます。
ある菌だけが持っている耐性を別の菌が増殖する時に自分の遺伝情報を取り込んでいきます。共同戦線を張り、生き残りをかけているようにも見えます。
しだいに耐性を重ねて持つ多剤耐性菌ができてくるのです。
厚生労働省はセラチア菌やエンテロバクターなど、人の腸内にいる細菌がどの位の抗生物質に耐性を持っているか緊急調査を開始しました。

白い恋人たち

冬のオリンピックは1924年、シャモニー、モンブランで始まりました。
1972年に札幌、1998年に長野、今年はソルトレーク・シティで19回冬季オリンピック大会が行われています。
華やかさには少し夏のオリンピックに比べ欠けるように感じますが、平和な雪と氷の祭典のイメージは侮れません。
「白いの恋人たち」は1968年、フランスのグルノーブルで行われた第十回冬季オリンピックの模様を収めたドキュメンタリー映画です。
「男と女」で卓越した演技力をみせたクロード・ルルーシュが映画にはない視点からオリンピックという舞台を多面的にとらえ大成功した作品です。
開会式のリハーサルでバラバラな演技者たちに業をにやした女性が怒りの演説を始めるシーン、選手村での華麗なパーティ。
冒頭の聖火ランナーたちのショットから始まり、ランダムに映し出されるたくさんの人々。
その映像にフランシス・レイの有名なテーマ曲「白い恋人たち」が流れ・・・。
今みても鳥肌がたつほどすばらしい!!!!!
選手の演技が終わり評価を受けた後、選手が本来の自分の顔に戻る一瞬。
映像がとらえたその一瞬こそ、私達の知らない選手の素顔でしょう。そんな演技との合間の空間に徹底的にこだわった演出が光ります。
アルペン種目を追った豪快な撮影。
アイスホッケーのすさまじいバトル。
ダイナミックな選手の体の動きをカメラは綿密に映し出します。
オリンピック映画として最高峰といわれている市川崑監督の「東京オリンピック」のやや乾いた映像とは明らかに違いますが、しっとりした余韻を残してくれるような気がします。
なだらかな映像は時に退屈感を誘う感じがしますが、見終わった時には妙にさわやかな感じが心に残る映画でした。
ちなみに映画の封切り後はかなり長い間、どこのスキー場もこのテーマ曲を流していました。
一昔前の黒いキルティングのヤッケを着た日本の中年男性が執拗に選手達にカメラをむけているシーンが何故か印象に残っています。
厳寒の中での演技は選手も又、見物する観客も大変でしょうが4年に一度の祭典に世界中の人が熱狂的に応援しています。
僕も明け方の静まり返った家の中でただ一人起き出して、応援するファンの一人でもあります。
誰の頭上に輝いてもおかしくない選手一人一人の長き練習の成果を見守りながら。

私にとっての名作はまだたくさんありますが今回はこの辺で・・・。