香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

English

コスモス新聞

コスモス新聞 病院からのお知らせ、ちょっとしたエピソード、医療に関するお話、患者様よりお寄せ頂いたメッセージ、思い出の映画など情報満載です。

コスモス新聞第278号

黄班円孔 私の治療2

手術後
それから2日間、1日1回化膿止めの点滴。そのあとは3日間、化膿止めの薬、薬剤師さんが来て丁寧に説明。
うつぶせ
目に入れたガスが手術の痕をしっかりと押さえるようにするため、1週間ほどうつぶせで過ごさなければならない。手術前に説明のプリントを読み、うつぶせの練習をした。手術が終わって病室に戻ると早速うつぶせの生活が始まった。ベッドのマットを後にずらし、おでこの下に細長いマットを置いた。つまり、目からあごまでの下は溝になっていて低い鼻でもつぶれない。
私はおでこの中心だけに重力がかからないように、そして頭がぐらりと横にならないように、おでこの両側にタオルを筒状に巻いて当てた。額の両側に置くととても具合が良かった。
看護師さんは体を起こした時もうつぶせで過ごせるようセットしてくれた。うつぶせの姿勢では顔がむくむようです。歯磨き、洗顔禁止。食事は頭をさげたままで、味噌汁はストローで。飲み物もストローで飲まなければならない。熱いお茶は大変。これがなかなか難しい。うまく食べれないし、飲めないのです。
不思議と食事が待ちどうしいのなんのって。もともと、私は少食でしたが、三食とも完食。こんなに食事がおいしいとは・・
うつ伏せは、つらいものですが、特に眠る際のうつ伏せは、1時間と眠ることが出来ません。私も手術当夜は、それでも頑張りましたが、2日目からはもういらいら。うつ伏せ寝に適する枕を備えましたが、どうしてもうつ伏せでは眠れませんでした。うつ伏せだと体中が痛くなるので妻にお願いした。毎日マッサージ。たちどころに回復した、伴侶のありがたさを、いまさらですが、痛感しました。ありがたいことです。退院したら何かプレゼントでもしなければと・・・。
手術前、うつぶせは一見大変そうだが、タブレットで映画を観るには絶好の機会で、楽しく過ごせるものと思っていたが、うつ伏せだと昼間うとうとしてしまう、そうすると夜が眠れない。WIFI環境がないので、映画を観ていると私のWIFIルータがいっぱいになり、観れなくなってしまった。もっと綿密な計画が必要だったと・・。
術後に始まったうつぶせは1週間と言われていたのに4日間ですんだ。
うつぶせが終わると、目を覆っていた角綿がとれた。視界は円形のガスで覆われ、何も見えないが退院の許可が下りた。退院後この黒く見える円形のガスは日を追って小さくなっていく。眼球内の硝子体が新しく出来るにつれてガスが排出されていくとのこと。ガスは日増しに小さくなるも、ガスがあるあいだはできるだけうつ伏せをするほうがガスの効果があるとの事。
ガスの円形が小さくなってきたので、手元のプリントを上にかざしてみた。真ん中の字も薄れてはいるが読めた。それにあの黄色い不気味なものも見えなくなっていた。うれしかった。
退院後の診察で、視力検査。0.8になっていた!
次に眼底の血流の検査。これは血圧、心電図をとりながら眼底を調べるので、視点をじっと固定するのが大変、結構時間がかかった。結果はちゃんと流れているとのこと。
検査室から出る時、手術前と手術後の眼球の写真をお願いした。あいていた孔がふさがっていた。あの孔が・・・といまさらながら驚いた。
私がこの病気になった時、誰もがやっぱり目の使いすぎだと思ったようである。私自身もそう思って深く反省していた。しかし、うれしいことに、そんなことは全然、関係がないそうである。
この病気を早期発見できたのもテレビで映画を観ていたおかげである。
しかし、いまだに「目をあまり使いすぎないでね」と心配そうな声がかかりそうな気がする。折角のご親切にいちいちお言葉を返すわけにもいかないし。
これからも定期的に診察が必要なようである。
友人や娘達からこんな質問があった。
1.視点の中心の見えない部分は黒いのですか。
A.はい。中心の1字が抜け落ちて印刷されていない感じです。私の場合は女優さんの右側だけがゆがんだり、抜けたりいていました。この空白やゆがみは両目で見ている時は全然気がつきませんでした。私は偶然、気がつきましたが、機会がなかったらもっと遅れて、治療してもいい結果がみられなかったかもしれません。
2.目をつぶっても手術できるのですか?
A.大丈夫、眼窩に輪のようなものをはめているので、目は開いたままです。痛くはありません
3.手術中メスなどの器具は見えませんでしたか?
A.見えます、ぼんやりですが。手術中、手術する方の目の部分だけ開けた布をすっぽり被っていましたので、もちろん右目では見えません。
4.めったに起こらない珍しい病気ですか?
A.私が罹った時、「黄斑円孔」という病名を知っている人はまわりに誰もいませんでした。しかし、退院後、友人の身内にこの病気に罹った人がいました。主治医の先生のお話ではこの病気が治療できるようになったのはここ十数年だそうです。
5.今、病気になるまえとまったく同じように見えますか? 
A.まったく同じかと訊かれると残念ながら NO です。片目でちょっと離れた柱や電柱を見ると縁の1部がねずみがかじったようにギザギザに見えます。(手術直前は深くえぐれて見えました)視点の字も1部がゆがんだりかすれて見えにくいのですが、それはほんの小さな部分ですので視線をちょっとずらすとはっきり見えるようになります。病気になる前と同じではなくても1字ぽっかりと見えなかった手術直前とは雲泥の差です。

手術をしてから、自分で予想していたよりずっといい回復ぶりだと思います。これは偶然早くに気がついたこともありますが、それよりもいい先生方に出会い、早期に見つけていただき、最高の治療を受けることが出来たおかげだと思っています。その点、私はとても幸運でした。
黄斑円孔は、今では手術によって90%以上は円孔が閉鎖するようになっていると言われていることから、がんばる甲斐があるのはよく分かります。重力の関係で、下を向くと入れたガスが上へ上がり網膜を適度に圧迫しうまく引っ付きます。このタイミングが大事なことです。ガスが早く抜けすぎても、圧着が不完全になります。
主治医の先生によるとこの病気には4つのステージがあり、たいていの人は第3ステージで来院するそうですが、私はそれより重い第4ステージでしたが、いち早く大学病院に紹介してくださった先生、ありがとうございました。

「 窓 」

青い空に続くように山の頂に向かって伸びている道路がある。木々の間を見え隠れしながらうねうねと続く一本道は、この町が建設した病院へと続く。
小さな神社を中心に村人たちが暮らしたこの山は、背後に雄大な山脈を従えているのに、それらを素直に取り込み、尚、やさしさを残している。
だから平安の歌人や戦国の武将さえ、そのやさしさを愛でた。

その病院の窓から外を眺めている人がいる。
彼は病との戦いに疲れはて、話すことさえ億劫な自身の弱さを甘受していた。
冬枯れの山は黙って彼を見守っていた。
病院の窓は遮る物がないため、町全体がすっぽりとはまっている。湾岸を埋め立てて作られた大きな港や、穏やかな海には大型タンカーが行き来している。
その窓を自然の風はそっとたたく。
春は芽吹いた樹木が生き生きと命の賛歌を、夏は涼風が濃い大気の香りを、秋はどんぐりが落ちる音も聞こえる静寂を、そして冬、すっかり葉を落とした木々は未来への命を育みながら静かに眠りにつく。
悠久の時を過ごしても変わらぬ里山に、その病院は建っている。

毎日、「窓」を眺めていた若い彼には、沢山の夢があった。
発症してからその夢が叶う事なく消えそうで、こらえ切れずに泣いた。
1人だけの戦いが心細く、病院の白い壁さえ嫌った。
だけど、彼は心の片隅に夢を、かすかな光を残していた。
やがて季節は移り山の緑も濃さを増した頃、彼は唐突に「窓」からのメッセージを受け取った。
自然の息吹が真っ直ぐ心に届いたのだ。「窓」からのメッセージは勇気の便り。
戦う意欲が腹の底からズンズン響いてくる。
病気にクヨクヨした鬱の状態から抜け出し、力がみなぎる。
さらに「窓」は語る。
「遠い水平線まで目をやってごらん」と。
「海の大きさが測れるから。ただし、その心で測るんだよ」
「ねっ、心って海より大きいんだ。そんな大きな心を持っているのだから恐れる物なんてないよ」と。
だからこの病院の患者は、たいがい元気に退院をしていく。
窓からのメッセージが本来持っている治癒能力を最大限に引き出してくれるからだ。医師やスタッフたちは自分たちの技術のおかげと喜び、最新施設の病院の将来を夢に描く。
そんな彼らに「窓」は何も語らない。

1995年にコスモス新聞に掲載した作品です。ほぼ20年前に書いたのですが今回、少々手直ししてみました。お楽しみいただければ幸いです。

総合企画部 吉峰由美子