香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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エッセイ

エッセイ

やまざくら「(8)」

夜の闇が廊下を白く浮きだたせている。
明るい医局のドアを開けて、首だけ突っ込ませて僕を伺うように話しかけてきたのは山下だ。
看護婦になって2年立つから、一応は一人前に仕事をするのだが、少々臆病で初めの頃は注射がうまくできず、医局や事務に来ては「練習させて下さい」と、誰彼かまわず注射器をもって追いかけるので、皆をこまらせていた。
まだ三つ編みでもおかしくない童顔だ。
「先生、何となく出て来てもおかしくない晩ですね。」
声の方を見ると、しんと静まり返った廊下を見ながら肩をぶるっとふるわせていた。
「馬鹿なことをいってないで、早く見回りに行って来い。」
僕はカルテに目を戻し、明日の外来に来るはずの患者の検査のオーダーを調べていた。
クーラーのきいた医局でさっきからぐずぐずと山下が僕を見ている。ついに根負けして、「なんだよ、言いたいことがあるなら言ってみな。」と聞いてしまった。
「先生、お願い。一緒に少しでいいから見回って下さい。」
手を合わせて僕を拝んだ。
「他にも当直の看護婦がいるだろ。」
冷たく答えたのは、めんどくさかったからだ。
「先輩の看護婦さんばかりで頼みにくいし、そんな事言ったら怒られます。」手でげんこつを作り、たたくまねをした。
「まっ、当たり前だな。一人で行ってこい。」
「じゃなくて、お願いします。」頭を下げながら僕をみている。
期待しているようだ。
「わかったよ。でも今回だけだからな。」
しぶしぶ腰を上げることにした。
うれしそうに山下はドアを開けて、お先にと僕を通した。
あまり暗くもない廊下なのに、人が一人もいないと不自然な感じがする。
怖くはないがいけすかないというのであろうか。
 後ろから山下が話しかける。
「先生、幽霊って、どんな人に見えるのでしょう。」
「いるわけないだろ。馬鹿馬鹿しい。」
「でもおばあちゃんが言ってました。この世に残したことが気になってとか、恨みが残ってると出てくるって。」
何かしゃべってないと気がすまないらしい。
「ほら、上の階に行くぞ。」あほらしくて相手にしないで進んだ。「先生、ちょっと待って。ここらへんに良く出るって。」
病室を見回っていた山下が少し遅れたためか距離があいたが、かまわず階段を上がって行ったので姿がみえなくなった。
パタパタパタと走る音が聞こえ、やがて少し怒った顔の山下が追いついて来た。
「おいおい、本気で信じてるのか。」あきれて僕は聞いた。
「信じてますよ。だって本当に出るんだから。」
変にいばって答える。
プリプリして先に歩きだした山下が、突然、立ち止まった。
懐中電灯の明かりが上下に小刻みに揺れている。
「おい、山下。」話しかけた僕の腕をわしづかみにつかんで、山下が口を開けた。
「出た。出た!」小さな声が大声に変わりそうになったので、あわてて口を押さえた。
大きく見開いた目が前方から離れない。
照明を落とした常夜灯の陰に隠れるように、白い影がうごめき、こちらに向かってゆっくりと歩いて来る。
僕も一瞬あわてたが、すぐにびっこを引いているのに気がついた。「山下、足があるぞ。歩いてるよ。」
幽霊には足がないはず、なんて考えた僕も少し旧世代の人間か。
しがみついている山下の手を一本づつ離しながら、僕は白い影に近づいて行った。
「先生、あぶない。だめっ。」山下の押し殺した声が背中をつかまえる。
「しっかり見ろよ。幽霊じゃないから。」言い聞かすように答えた。 ぼんやりした顔の輪郭がだんだんはっきりしてくる。
左マヒのために片足を引きずりながら歩いてくるのは。
「あれー、古川さんだ。どうしたのー。」
山下が僕の後ろから顔を出して聞いた。
「・・・・・・。」返事はなかった。
山下は肩に手をかけながら、「古川さん、古川さん。」と何度も呼んでみた。
ゆっくりと首を回して彼女が僕たちをみた。
「どなたさんでしたか?わからないのですが。」
独り言のように小さな声だ。
「大丈夫ですよ。古川さん、ベットに行きましょう。」僕が手を取ってやさしく引くと素直についてくる。
ベットに横にならせ、薄い布団をかけてから彼女の手を取り、手の甲をさすりながら「あなたの名前は古川さん、そしてここは病院ですよ。」と何度も繰り返した。
つぶった目から涙がこぼれ落ち、彼女は何度もうなずいた。
その夜、僕は古川さんが夜間に歩き回っていた事実を知った。
幽霊の正体見たり、枯尾花かな。