香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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エッセイ

エッセイ

やまざくら「(5)」

夏の日差しを思わせるような、キラキラとした太陽が顔を出した。
北国にはこんな日はめずらしく、うれしくなるような気持ちで病院へ向かった。
僕が生まれた四国、高松は温暖な気候で人々も、比較的のんびりしている。
それが証拠のように傑出した人物もいない。
失礼、有名人は確かにいるが、時代を動かす原動力である気性の激しさには遠いように思う。
瀬戸内海は内海だから、波も静かで、たゆとうような面映ゆさすら感じられる。
そして夏は海に太陽が惜しみなく入り、水の中は光の洪水でキラキラと輝く。
だから太陽が輝くと、僕はたまらないほどの郷愁の念にかられる。 だが、その海の記憶も40年程前のものだ。
妻が嫁いで来たときには、瀬戸内海は汚れていた。
病院の職員駐車場に車を入れていると、新米看護婦の島崎が裏口から走り出て来た。
「おーい、おはよう。」何げなく手を上げた僕を目の端で見ていたのに、そのまま駆け去ってしまった。
何だ、あれは!と思ったが僕も遅刻しそうなのでそのままにした。 ナースステーションの前を通ると、婦長が目を三角にしていた。お叱言は好かないのでそっと通ろうと思ったが、待ち構えていたように声がかかった。
僕は誰がどんな失態をやらかしたのかと首をすくめ、もうこんりんざい誰もかばってやらないぞと即座に心に誓った。
だが老練な婦長の前では、僕は子猫のようにおとなしい。
「先生、甘やかしてはいけません。だからいつまでたっても若い看護婦が、ろくな看護婦にならないのです。」
「何の話かな。僕は、」言うより早く婦長がさえぎった。
「先日の勉強会をさぼらせたのは、先生でしょ。」尻上がりの口調には、凶悪犯さえ自白に追い込むような気迫すら感じられる。
「えっ、いやっ、あれはみんなが行きたいって」モゴモゴと口の中で物を言っている僕。
「言い訳無用!!」
僕は、島崎が逃げた理由に、ようやく思い当たったのだ。
意気消沈して医局に入ると、樋口先生が笑っていた。
「聞いてたのですか。」頭に手をやって、気恥ずかしさをごまかそうとしたが、ばれてるなら仕方ない。
「俺もやられたよ。でも岩崎先生の方がもっと悲惨でしたよ。びっくりして、ただ口をパクパクしているだけでしたから。」
「婦長より強いのは誰でしょうね。しかし口の軽い連中じゃありませんか。絶対に言わないから連れてってくれって頼んできたのに。」ぼやくばかりの岩崎先生だった。
どうも3バカトリオになってしまったようだ。
「そういえば昨日の論文発表いかがでしたか?」
「無事すんでホッとしています。あまり質問も出なかったので。でもマイクの前に立った時に足が震えましたよ」
「事前にどんなに調べて、用意万端って思ってても、たった一つの予期しない質問が答えられなくて、大恥かいた人もいるしね。」
妙に自重気味に樋口先生がポツリと言った。
「そんな話は初耳ですね。もしかして、樋口先生の事ですか。」
びっくりして岩崎先生が思わず聞いた。
「うん、若かりし頃のことさ。」コーヒーが手元にないのが残念なように、樋口先生は自分の手を眺めた。
沈黙が部屋を支配した。
僕も初めて発表した時の事を考えていた。
教授や先輩の先生方を前にしてコチコチで壇上に上がった時、うまく話せてスライドも順調に進み、教授の表情が和らいで見えた時、質問に堂々と答えられた満足感などを思い出した。
「まっ、無事に終わったお祝いでもしますか。」雑念を振り払うように樋口先生が言った。
「そうだな。吉峰先生もいかがですか。」
「いいですよ。でも看護婦たちには内密に。」
指を口元に持っていきながら、内緒と合図する。
「もう、絶対に誘いませんよ。それにしても裏切り者は誰だろう?」憤懣やる方ない言い方だった。
僕は島崎だと知っていたが、口にはしなかった。
武士の情けである。