香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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エッセイ

エッセイ

やまざくら「(1)」

雲の動きが慌ただしくなり、あたりが瞬く間に暗くなった。
「先生、夕立になりそうですね。」
新米看護婦の島崎がこわごわと窓から覗く空を見上げながら言った時、ピカッと稲妻が走った。
間髪を入れずゴロゴロッと雷鳴がとどろき、降り出した大粒の雨はまたたくまに辺りを霞ませていった。
「驟雨ですな。」診察を受けていた雨宮老人がのんびりと寝間着の前をかきあわせながら言った。
「なんですって?」若い島崎が聞き返した。
「驟雨ですよ。お若い方にはにわか雨、もしくは夕立と言ったほうがいいですかな。」
窓を閉めながら婦長が軽く老人に笑いかけた。
雨宮老人はわざとむずかしい言い回しで、若い看護婦を煙にまいては喜んでいるのだ。
彼の容貌は鶴を連想させる。
何を着ても肩が落ちそうな貧弱な体格に細く長い首が続き、頭にはひとかたまりの白髪が残るばかり。
白内障をわずらったらしくグレーがかっている目が、年のわりにはよく動き、かっては腕白小僧だったのではと感じさせる。
口は小さく薄いためにやや冷たさを感じさせるが、目元の笑いジワが柔らかい印象を人に与えるため、かろうじて老人特有の偏屈さから逃れられている。
だが、いたって口は悪い。
特に若い看護婦には時に辛辣な言葉を吐くが、どういう訳か"受け"はいい。憎まれないタイプなのだろう。
彼は石段から転げ落ちて大腿骨頚部骨折となった。
もう骨折は十分治っているのだが歩く気がない。
なんやかんやともったいをつけてはリハビリをさぼろうとする。
普通なら婦長の一喝があるはずだが、その婦長が甘やかしているのだから始末が悪い。
どうしてこの患者に甘いのだろうかと、若い看護婦たちの噂の種になっている事を婦長は知っているのだろうか。
雨音がうるさいほど窓をたたき、はねた飛沫が空中に踊りだす。それらは半円を描きながら好きな方向に飛び交い、やがて小さな流れを幾筋も作りながら、大地を洗いにかかる。
窓の外を眺めていた老人の少し疲れたような顔に、悪戯っ子のような笑みが浮かんだ。
「この雨で余花も散りますな。」彼はキョトンとしている島崎をからかうように見やった。
「ヨカって暇な事でしょ。」正直に白旗を掲げた島崎が言った。
「夏になっても寒冷地や山地でサクラが咲いている所があり、これを余花と言うんじゃ。うば桜とは違うぞ。もっとも余ってる花と書くから売れ残りに近いかな。おまえさんも気をつけんとな。」
「今晩から国語の勉強を始めます。」
きっぱりと返事をした島崎だが、本の上に頭を乗せて眠っている姿が、即、想像できた。
飄々として実に好ましい老人なのだが、欠点は誰もが持っている。「雨宮さん、いいかげんにもっと身を入れて、リハビリして下さいね。」さぼり上手の彼に僕は言った。
「おやっ、お鉢が回ってきてしまいましたな。でも先生、年を取ってからの骨折はこたえますな。最初は動かすなと言われて一生懸命じっとしていたら今度は動かせですからな。年寄りは反応が鈍くなってますから、そううまくはまいりませんです。はい。」
長い首を重たげに曲げ、上目使いに僕を見上げた。
僕は苦笑をかみ殺して、声に力を入れる。
「そう言ってから、もうどの位になりますか。1週間はたちますよ。いくら鈍くてもそろそろ反応するのではありませんか。」
「そうですね。でも動かそうとすると怖いのですよ。無理すると又、折れそうで。」足をさすりながら訴え、急に年を取ったようにふるまう。
その姿が面白かったのか、とうとう島崎が笑い出してしまった。婦長が若い看護婦に口をへの字に結んで黙らせてから、老人に諭すように話しだした。
「雨宮さん、骨は治ったのですから、折れませんよ。リハビリはそれをもっと良くする運動ですから骨折する事なんてありませんよ。」「う~ん」と唸りながら、雨宮老人は考え込んでしまった。
病室を出ながら、この老人が意欲的にリハビリに専念できるにはどうしたらいいかと本気で考えていた。
雨はたたきつけるように降っている。
外来に行こうと一階に降りて行ったら、ずぶ濡れになってPTの小倉君が病院の玄関から入って来た。
「わぁっ、すごく濡れたね~。」と言ったとき、目の隅に婦長がこっちへ歩いてくるのが見えた。
「突然降るものだから、見て下さいよ。」
滴をポタポタ落とす頭を振ってみせた時、婦長の叱責が落ちた。
「こらっ、やめなさい。裏から入りなさい。裏から!!」
婦長があわてて叫ぶ。
すばやく小倉君は跳び退った。
「ごめんなさい。」声だけ残して、すばやく外へ逃げる小倉君。
「まったく、自分の家みたいなつもりでいるんだから。」と言いながら、ぞうきんを取りに行く婦長の肩は笑ってふるえていた。
僕はヤレヤレとため息をついた。
"家"か。そういえば雨宮老人の家庭の事情を、聞いてみてもいいなと思いついた。
案外そこに解決の糸口があるのではないだろうか。
恬淡としてみえるから、気がつかなかったが、家族の見舞いはあったのか看護婦に聞いてみよう。