香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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エッセイ

エッセイ

やまざくら「(9)」

太陽の光が、重く背中にのしかかってくるような午後だった。
すべてが緩慢になり、まとわりつくような汗が僕を怠惰にしている。
椅子にもたれて足を机に上げて、だらしなくもぐったりしていた。 
言い訳はたくさんある。
どんなに働いてもむくわれないとか、本当の事を言わない患者、ちっとも守ってくれない規則、些細な行き違いを殊更に騒ぎ立てるトラブルメーカー、最も悪いのは日本語がわからない日本人だ。
この最後の問題点は、誠意を悪意に、真実を虚偽に、事実を曲げても平然としていられる厚顔無恥な人々に謹んで捧げよう。
ともかく何にも興味が抱けず、厭世的になる日が年に1~2回あり、それが今日のようだ。
こんな日は家族と一緒に過ごすのが一番と考えつつ白衣をはおる。 病棟回診の時間だ。
ナースセンターに行くと、リーダー(看護婦になって5年位)の矢崎と島崎が回診車の点検をしていた。回診車とは薬や医療器具などが乗っている車の事である。
申し送りを聞くが、特に問題はないようだ。
お供二人を従えて、病室の回診を始める。
全ベット数150床のうち、整形外科は50床ある。
たまに患者の数が多くて内科の病棟を借りる事もあるが、今は整形だけで間に合っている。
僕は自分の担当の患者さんの名前や容体を暗記している。
カルテを見る前に、○○さんとか××さんと呼ばれたほうが、相互の信頼関係がスムースだし、時間のロスが少なくてすむ。
患者さんの行き交う廊下をゆっくりと歩きながら、ふと島崎が初めての当直の夜の事を思い出した。
深夜2時をまわっていたと思う。
当直だった僕は急患の処置をして部屋に戻るところだった。
突如、白い廊下に叫び声が響いたのだ。
「看護婦さん!看護婦さーん!誰か、来て下さい!!」
声は院内に響き渡った。
階段を降りて急いで駆けつけると、島崎が真っ青な顔でオロオロしていた。
「どうした。」
「○○さんが苦しんでいるんです。」
病室に入ると、のどに何かをつまらせたらしく、苦しんでいる。
「ばか!何してるんだ。」急いで口を開けさせ見てみるが、白いドロドロしている物で、口の中はいっぱいだった。
吸引を試みてみたがだめだった。
「注射器に18Gをつけて3本持って来い。気切の用意をしろ。」怒鳴るように言ったが島崎は動転して、何の用も足さない状態だ。 幸いすぐに他の看護婦が駆けつけ、手早く処置が開始され、気道を確保することが出来た。
島崎はメスをのどにあてる時に失神した。目の隅で彼女が倒れるのを見たが、誰もかまっていられなかった。 
その後、しばらくの間「看護婦さーん!」が流行したのは言うまでもない。
でも僕がえらいと思うのは彼女はがっくりしてしまうのではなく、それらの失敗を糧として、成長しようとする気構えをみせた事だ。貧血から覚めた時に患者の容体を一番に心配したと聞いて、僕はうれしかった。
そういえば、島崎は患者さんからのナースコールがあると、なかなか帰ってこないといって怒られている。
患者の悩みを聞いてあげる事も重要な仕事だと思うのだが、人手の少ない今日この頃ではスケジュールが狂うと怒る婦長の気持ちももっともではある。
しかし看護婦とは看て、護る、婦人と書くのだから、本来患者サイドの心の支えとなるべきだと僕は思っている。
だから彼女の弁護にまわってしまうのは否めない。
島崎の成長が楽しみだと思いながら、長い廊下を歩いているうちに、先程の厭世観は払拭されていた。