香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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エッセイ

エッセイ

ふきのとう「一」

軒に下がったツララから、ポタッポタッとしずくが落ち始めた。厚い雲の間から朝日が顔を出したらしい。
まもなく薄い雪を割ってフキノトウが、命を育む大地の鼓動を知らせてくれるはずだ。
水ぬるむ春になったら、旅行をしようと約束した日が来た。
僕は日本海に面したこの地の、県立リハビリテーション病院の整形外科に勤務している。
ここには障害を持つ人のための施設や学校もある。
勤めはじめて二年になり、ようやく慣れてきたところだ。
そこで脊髄損傷の患者さんたちの交流を図るために、小さな会を発足する手伝いを始めた。
出足は好調で、その第一回の旅行が今日だ。
一般に障害者が旅行にでるのはむずかしい。
彼らの介護や宿泊施設が少ないからだ。
幸いな事に病院の看護婦さん達がボランティアで参加してくれる事なったので、介護の件は解決した。
宿泊施設も市内から一時間半で行ける、某温泉の福祉施設に決まった。
あとは出発を待つばかりである。
集合場所の病院には、気の早い連中が早くから集まり、看護婦をからかっていた。
「先生、僕の運転では怖いから、一緒の車はいやだと言うんです。これって差別ですよね。」
一番若い宮城君が、車から降りようとしている僕に叫んだ。
彼は自動車事故で脊髄損傷、いわゆる脊損となった。
負けん気が強く、たまにてこずる事もあるが見事に社会に復帰している。
「看護婦の言うとおりだ。君のスピードは僕でも怖い。」
笑い声が青い空に響き渡った。
車が一台、又一台と集まって来た。
障害者用に改造された車は、彼らの足となって、その行動半径を広げる手助けをしている。
そして、彼らは運転する事が好きだ。
春うららの田舎道を10数台の車が走って行く。
バックミラーに写る後続車の列を確認しながら、助手席に座っている福岡さんを見る。
彼女も自動車事故で胸髄損傷となった。
後部座席の真ん中に座っていた彼女は、事故の衝撃でフロントグラスを突き抜け、外にほおり出されたのだ。
一般に脊髄損傷(または脊損と簡単にいう場合もある)とは、頸髄、胸髄、腰髄に分かれ、その度合いによって、どこまでのマヒになるかが違う。彼女の場合は胸から下がマヒしている。
内気でめったに感情を表さないが、そのあごに意志の強さの片鱗が見られる。
彼女は負けず嫌いだ。
「先生、ありがとうございます。この日をどんなに楽しみにしていたか。どこへも行かず、家にこもっていた娘が、皆が行くからと言って参加する勇気を出してくれました。」
送って来た母親の言葉が胸に響く。
彼女の勇気に乾杯したい気分だった。たとえ何十人いようと、その数が多ければ安心というものではない。
車椅子の集団が進んで行けば、若い女性に視線は集中する。
かばいたくても、友も車椅子だ。
でも仲間意識が彼女を強くしてくれたようだ。
「先生、心配してるのでしょう。」無邪気な彼女の笑顔がまぶしい。
「何を?」
「例えば旅館の入り口で引っ掛かって、涙ぐんでしまうとか。」
「えーっ!そんな神経があったのか?その腕で。」
彼らの腕は太い。
車椅子を動かすために必要な筋肉が十分ついている。
「ひどい。一番気にして夏でも長袖来てるのに。」
「そんなの誰も気にしないよ。自意識過剰じゃない。」
「乙女心を理解しない中年のおっさんにはわかるはずないか。」涼しげな顔で憎まれ口をたたく。
そうだった。
先日、看護婦との雑談の時に、ショックを受けたのを忘れてた。
彼女の父親とほぼ変わらぬ年齢だったのだ。
春の日差しは暖かく、ようやく芽吹きはじめた樹木に、柔らかな陰を落としている。
北国の春は、梅も桜もいっせいに咲き始め、駆け足で夏へと駆け登っ
ていくようだ。
「前に小林君としゃべっていた時、変なのよ。彼、何と言うか、すごくいらだってて、しょっちゅう人の話をさえぎるの。どうしたのって聞いても、上の空で何も言わずのだんまり。何、あれって感じだったけど。」
小林君とは自宅で療養中の患者で、確か昨年退院していったはずだ。やっと環境にも慣れて、落ち着いているように見受けられたが。
患者同志の気楽な会話に、いらつくのはおかしい。
医者はよく観察しているつもりでも、上手に心の内側を隠していると見破れない場合が多い。
患者同士の会話の断片からヒントを得た事は何度もある。
今度の旅行はいい機会なので、ゆっくり話し合ってみよう。
先日の外来の時には快活そうに、家での事を話していたのだが。
彼も又、事故の犠牲者だ。猛スピードで走ってきたダンプカーに追突され、ガードレールに直撃。
無残な鉄の塊と化した車から、奇跡的に救出された。
だが、命と引き換えに下半身はマヒした。
快適なドライブは続く。
窓をあけると、うららかな春の日差しに反して、風が冷たい。市内から山を登ってきている証拠だ。
隣が静かだと思ったら、スヤスヤと眠っている。たぶん昨夜はあまり、寝ていなかったのではないだろうか。
彼らにとって、いや彼女にとって旅行は何年ぶりかなのだろう。一瞬の忌まわしい事故が、彼女から奪ったものは大きい。