香川県高松市での整形外科・内科・健康診断・予防接種は吉峰病院へ。

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エッセイ

エッセイ

ふきのとう「蒼 天」

晩秋の日暮れ時。
色ずいた銀杏の葉が次々と落ちる様は、木の葉が乱舞しているようだ。
明日の朝には道路を埋めつくし、サワサワとおしゃべりを始めるだろう。
さぞ、掃除のおばさんが悲鳴を上げるだろうと考えるとおかしかった。
この季節が僕は好きだった。
山は色とりどりの化粧をし、裾野に広がる黄金色の波は豊かな実りを謳歌しながら揺れ、晴れ上がった空は高く、風はやさしく髪をなでる。
だが感傷は、現実的な婦長の声で断ち切られた。
「先生、時間外なのですが、患者さんが来てるのです。診ていただけますか。」
不快さをこめて返事をしようとしたが、愛想の良い声が出た。
妻が外面だけいいんだからと文句をいう気持ちがわかった。
「いいですよ。外来にまわして下さい。」
白衣をはおって診察室に降りて行くと、30前後の女性が7歳位の男の子を抱えて座っていた。
裸足の足に泥がこびりついているのが目立つ。
薄汚れた体を母親に押し付けるようにして、上目使いに僕を見ていた。
「どうしたのですか。」
「あの、この子の腕が少しおかしいように思うのですが。」
「では、ちょっと診察してみましょう。」
妙におどおどしている子供だった。
「さて、君の名前はなんていうの?」気分をほぐそうと語りかけた。
「.........」
「あれっ、名前、言えないかな。」
「............」
母親が替わりに答えた。
「すみません。人見知りが激しい子であまりしゃべらないのです。名前は健一といいます。健ちゃん、先生とお話し出来るわね。」
子供は頑固に首を降った。
「それでは、お母さんに聞きましょう。」
「2~3日ほど前から痛いとはいってたのですが、働いているもので今日になってしまいました。腕なのですが。」
腕は手首から中程まで赤黒く腫れていた。
「まず、レントゲンを撮ってみましょう。」オーダーを書いていると、母親にしがみついている男の子が泣き出した。
「大丈夫。痛いことはしないよ。」それでも警戒をとかないようで、僕を見る目が険しい。
母子がレントゲン室に行くと、看護婦が「先生、嫌われてしまいましたね。」と笑いながら言った。
僕は何も答えなかった。何年か前にもこの少年のような患者がいたことを思い出していた。
もちろん、この病院ではなかったし、その子は女の子だった。
初対面の印象が同じだった。
口数が少なく、警戒的で、そして脅えていた。
特に男性に対して。
足の腓骨を骨折していたその子は、2週間入院して後は通院ですんだ。
その2週間の入院中は子供らしく、伸び伸びと誰にでも話しかけていたが、明日は退院となった深夜、ベットですすり泣いている所を回りの看護婦に目撃されいる。
翌朝、母親が迎えに来るといやがりもせずに、黙って退院して行った。
が、ギブスが取れてから3ヶ月もしないうちに再び来院してきた。
今度は軽い手首の骨折だった。
少女を診察しながら様子をみていると、肩に触られるのをいやがっていた。
ちょっと見せてごらんといって肩を出させると、赤黒く腫れたあざがあった。
打ち身はそれだけでなく、脇腹と背中にもあった。
堅く口をつぐんで、何もしゃべろうとしない少女が哀れだった。
結局は父親の折檻が原因と判明したが、母親が二度と繰り返させないという事で彼らを帰してしまった。
あれで良かったのだろうかという思いは否めず、今も気にかかっている一件だった。
少女は二度と病院に来なかった。いや、来れなかったのか?
ペンでカルテをたたきながら、パタパタと音をさせる。
わざと神経にさわるような音をさせて、自分自身の胸の内を探ってみる。
どう考えても後悔しているのだ。
あの少女をサバンナの真ん中に放り出し、ライオンの餌食にしてしまったような悔恨が残っているのだ。
僕には二人の娘がいる。当然かわいい娘だ。
手を上げるなんて考えたこともないし、娘と妻の会話は聞いているだけでも微笑ましい。
僕も仲間に入りたいと思うのだが、これが難しい。何か入ってはいけない聖域のように感じる時もある。
父親なんてこんな物だろう。息子がいれば違うかも。いや、同じかも。
どちらにしても父親なんて、つまらん役割だ。
でも娘がお父様と寄ってくる時の優越感は何にも変えがたい。
特に妻に内緒の願い事の時はなおさらだ。
最もすぐにばれるのだか。
すぐに健一君のレントゲンが運ばれてきた。やはり折れている。
かなりの痛みを伴っていたはずなのに、随分我慢強い子供だ。
「お母さん、健一君の腕は骨折しています。幸いひどくずれているという訳ではないので、しばらくの入院ですむと思います。午後から処置をしますので、入院の支度をしてから来ていただけますか?」
「入院ですか?」
「そうです。麻酔を少しかけて、正常な位置に直さないと、きちんと骨がくっつきませんから。今は副木をしておきますから。」
母親はなかなか"うん"と言わなかったが、真っすぐにつかない恐
れがある事を話すと納得して、入院の準備に家に帰って行った。
「入院をずいぶんいやがるのですね。」看護婦が不思議そうに言った。午後一番に健一君の処置を行う事にした。
「健一君の処置をするから上半身を脱がしてくれ。」看護婦が脱がそうとすると、少年はいやがった。
「大丈夫よ。痛くないから。」それでも頑なに拒否する。
「先生、どうしましょう?」
困り果てた看護婦が、僕に変わって下さいと言った。
少年の肩を軽く叩いて、「安心しろ」と言おうと思ったら、少年が眉をしかめた。
「痛いのか?ちょっと見せてごらん。」
有無をいわさず、着ているハジャマをはいだ時、看護婦が息を呑んだ。少年の体中にアザや火傷の跡があっのだ。
僕は目をつぶった。
背筋に衝撃が走り、怒りを飲み込むのに苦労した。
「痛むか?」同じ質問に少年は、涙を浮かべてうなずいた。
「今、手当をするから。大丈夫だよ。すぐに治るよ。」
ともかく今は、骨折と体中にあるアザや火傷の治療をする事だ。
どうやら火傷はタバコを押し付けた跡らしい。
肌が露出する部分を避けて傷がある。巧妙なやり方だ。これなら誰もきずかないだろう。
母親がなかなか治療に連れてこなかったり、入院を嫌がった理由が分かった。
少年の骨折や打撲は日数がたてば、治っていくだろう。
だが幼い時から、いわれなき暴力を受けていたという記憶は、一生消える事がないかもしれない。
今回のこの少年の場合は、ごく普通の家庭に育っています。
父親は酒乱でもない。
何が原因でこのような折檻を与えるのかは、後日、病院での話し合いの時に、本人にも説明はできませんでした。
結局、最終的には民生委員の手にゆだねられました。
この母親には刑事事件として、父親に対して訴訟を起こす勇気がなかった。
子供が虐待を受けているのをみて、やめるようにとひたすら哀願す
るばかりだったそうだ。
いたいけな児童虐待問題は深刻です。アメリカでは1974年に児童虐待防止法が制定され、人権保護協会が24時間態勢で電話を受け付けているそうです。
この問題で大人が犯す罪は大きい。
その子の人生を左右させてしまう場合もあるからです。
自分より弱い者をいじめる。何と残酷で原始的なのか。
理性が感情を支配できるように、人間は"人"としての成長をしてきているはずなのに、この手の犯罪は跡を絶たない。
理由はなかなか表面化しないからだ。
ひたすら夫の暴力、妻の暴力を世間から隠す。泣くのは被害者の子供達ばかりだ。
世間体より子供に与えられる暴力、精神的苦痛、大人への不信感、その秘密を持つ事による精神的抑圧を考えれば、何をすべきかは自明の理ではないか。
子供には逃げ場がない。
「許して、許して。」と泣きながら、部屋の隅にうずくまり、暴力の嵐が過ぎるまで黙って耐えるしかないのです。
この少年、少女の場合は骨折する事により、事実が表面化しました。でも、今現在、どれだけの子供達が、救いのない毎日を送っているのかと考えると寒気がします。
子供には幸せになる権利があります。どんな状況下においても同じです。
勇気を出して告発してほしいのです。
どこに電話をすればいいのか、わからない場合は僕に電話を下さい。
この問題には、その子の将来がかかっているのです。
子供は親を選べません。だからこそ親であるあなたが守らなくて、誰が守ってくれるのでしょう。
精神的抑圧やストレスが成長過程における子供達の骨の発達に、異常を起こす「愛情欠乏性小人症」という病気があります。
精神的、肉体的、あるいは性的に虐待され続ける事によって発症します。
母親が子供を放り投げ、頭蓋内出血を起こした子もいます。
なかには脅えながら、無残にも黙って殺された例もあります。
なぜ、親らしい行動が取れず、わが子を拒み、さいなむのでしょう。乳幼児期に親から拒まれ、暴行を受けた子が成人して親となった時、再び同じ悪夢を、わが子に繰り返す傾向があると調査の結果が出ています。
このような悪循環を繰り返さないように、相互援助のシステムの確立や地域のネットワークづくりなどが大切な今後の課題になると思います。
次代を担う子供達が、一人でも多く幸せに育つ。
そんな社会を築く事に重点をおきたいものです。
そして「思いやりの心」を育みながら、より良い地域づくりを皆様のご協力を頼りに進めていきたいと願っています。

ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました。
様々な患者さんに接し、"生きる"という価値をテーマに、僕なりの
考えを書いてみました。
とはいうものの、いまだに試行錯誤を繰り返している未熟な僕です。ひとつ安心したのがが、完璧な人間はいないと気がついた事です。
誰もが、過ちやしがらみを引きずりながら生きているのです。
それがどんな形にしろ、「一生懸命に生きる」という事が、一番大切な事だと思います。
不器用な生き方しか、できないかもしれません。
でも、何事にも正面から取り組み、正直に誠実に生きていきたいと願いながら、この文章の終わりの言葉とさせていただきます。
本当にありがとうございました。